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#6 邪視随筆 「Hold on breath for ever!!」

熊楠の小論「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語」(1911年)
シンダーつまり灰。
我が国では灰かぶり姫とも訳される有名なお話。

発祥元は世界広域に分布、人類の発想は共通。
多元的となる原話があり、民族移動や口伝による伝承の間に尾鰭が重なっています。
すなわちシンデレラ物語はAnthologyであり、ユングの心理型アーキタイプであるということ………

これは歴史的大発見でした。

しかし、異民族間に存じた類似古話の比較研究も当時明治時代のヨーロッパ諸国では〘日本に学問在らず〙が常識だった為
なんともやり切れぬ事に全く相手にされず、彼の死後、漸く其の功績が知られたのです。


今日は先に作品紹介をしてから、シンダレラ物語を追います。

【燃えカスの子】

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体は動くとも
血はめぐらさぬ
花は咲くとも
実は付けさせぬ

ああ憎らし 口惜し
二度もいらん
今すぐ止まれ
私の母さん
私を奪って
私の父さん
私を灰にした

だけど幸せ
もう始まらない
だから幸せ
幸せってなぁに
もう 壊れた

Inspire「手無し娘」


問い合わせ先→ #乙画廊   https://otogarou.theshop.jp/

本日もご高覧お待ちしております。

手無し娘はグリム童話にもありますが、日本の方はなんともいえない不気味さに包まれ陰惨です。
簡単に説明しますと、毒母に両腕を切られてしまった娘は「体は動くとも血はめぐるな…」と痛みに言い聞かせて止血し、家を追い出され野山を彷徨い、飢えに堪えても忍びなく、やっと見付けた寺の梅を寺僧に食うなと叩かれ「花は咲くとも実はなるな…」と呪詛を吐き、樹がずっと梅を付けぬように〘 邪視 〙します。
軈て娘は、手が無くとも愛してくれる旦那の嫁になり子を産みます。
然し再び毒母の策略に陥り、手に入れた家庭も無くします。
赤ん坊をおぶって、あてどなく歩く娘。
子供に水を呑ませようと川に身を傾けた時、赤ん坊が水の中に落ちそうになります。
その時、咄嗟に念じると腕が生え、我が子を腕に抱いて救うことが出来ました。

絵はそのシーン。指がまだ出来てないが腕が生えてきた瞬時の感情を現したもの。

一方で幸せだけを邪魔してきた母の所に、何処からか不思議な声が聴こえてきます。

血はめぐるな。血はめぐるな。血はめぐるな。血はめぐるな。血はめぐるな。血はめぐるな。血はめぐるな。

めぐるな!

母は倒れて死にます。
娘は家族の元に戻り、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

この、めぐるな、とは、輪廻転生のことだと思います。
娘は余りにも不遇な身の上を世に置いており、最初は耐える為に、遂には本気で、自分にも周りにも「二度とこの世に生を受けるな」と呪いを掛けます。
しかし子供を助けたいという想いだけは聖なる祈りとして神に叶えられたのです。

光は闇があるからこそ輝く。置かれた場所で輝く。

今どんなに辛い思いがあろうとも、結果が皆ハッピーエンディングではなくとも、最後は信仰の強さだけが残る。

一生懸命に前を向いて足掻く者が居たら邪魔をせず道を譲ってください。其の人こそ、人間です。

ベトナムの国民的御伽話「タムとカム」は、熊楠が上記で指摘した九世紀中国唐時代発表「葉原(しょうげん) / 酉陽雑俎(860年)」の内容と驚く程に一致していました。
熊楠は、秦漢では魚と水、西洋では竈と火、違いはあれど、複合的要因や発想は一致していることを論拠に纏めあげ、支那には魚を霊と崇める民族が多いから反映されたのだろう、と締めています。

私はそこから更に掘り下げ、秦時代から現在まで幾つもの「アジアンシンダレラ」が蔓延っていったと推測。

ベトナムのタム→善は勝つということから料理名になるほど現地では有名な言葉です。良い人のことはタムと呼ぶほど。映画「フェアリーキングダム」の基盤でもあります。


カム(妹)はタム(姉)を邪視して何度も執拗に殺すのですが、姉は賢く蘇り続け、王子と暮らします。そして魚をシンボルにしている点、継母が不意をついて魚を殺してしまう点、骨を探す点、瓜二つなのです。
中国の方は小さい足から纏足を示唆するという論もありますが、当文では野暮として割愛。

この調べていくうちパチンパチンとパズルが出来上がるような感覚、非常に爽快!

こういった伝承の面白さは、継子(つぐこ)の後継者争いから肉親間での虐待が発端である、という相似点。

こういった民話の数々…
日本だけでも列挙しますと

1.紅皿欠皿
2.皿皿山
3.お銀小銀
4.姥皮
5.糠福と米福
6.落窪物語
7.米嚢と粟嚢
8.手無し娘(拙作元)

など、言及出来るものから更に分類されます。

私が子供の頃に資料室で読んだのは4.の姥皮をベースに5.の糠福と米福が争い、最後は地蔵によって助けられてハッピーエンド、という三段アイスクリームのミックス民話でした。
今から思うと地蔵尊、地蔵浄土を説いた立身出世のお話ですね。

日本は豊穣を何より大切にしていたことが良く分かります。
ガラスの靴では腹は膨れんわ!とばかり、和製シンデレラは殆ど雑穀ネタです。

中でも興味を惹かれたのが1.紅皿欠皿で、これは現在東京都新宿は西向天神において大聖院の一角に「紅皿の墓」というものがあり、これだけはノンフィクションかもしれない、という点。

太田持資
(落語【道灌】のモデル)が主役のお話に出てくる若い娘が名歌詠の姉・紅皿で、道灌の妻になり、夫の死後は尼僧になり、現地で亡くなったという逸話が残されています。

鷹狩に出た道灌は村雨にあい、近くで簑を借りたいと願う。然し出てきた寡黙な娘は山吹の花を手折り差し出す。

「欲しいのは花ではない、無礼である」
と道灌は怒るが、のちに「七重八重花は咲けども…の有名な古歌になぞらえ、貸す簑さえも無いと喩えたのだ」と気付き、「常識である。自分は当たり前のように知っていなければならぬのになんちゅう初歩的なミスをしたのか、誠に申し訳ござらん」と恥じ、歌の勉強めっちゃしてから娘さんに求婚、高砂屋。


紅皿欠皿のシンダレラ民話は読んだことがあっても
この山吹伝説の娘さんが美しく知的な姉の紅皿であったことは、余り知られてない筈。

私も調べていて解ったこと。
いやぁ、訪れてみたい場所が増えました。

紅皿欠皿はその後、河竹黙阿弥によって歌舞伎狂言に登場。
滝沢馬琴が「皿皿郷談」にして(挿絵は北斎、なんとも豪華過ぎるぞ。)
三代目澤村田之助が「魁駒松梅桜曙微」に変えて…ええと読み いちばんのりめいきのさしもり。読めるか。守田座で初公開。

その後「月欠皿恋路宵闇」つきのかけざらこいじのよいやみ、が上演されます。
宙吊り蛇責め等、リンチにあう継子のシーンが何とも可哀想で観客の涙を誘ったとか。

三代目澤村田之助は欠皿役が元で悪性の壊疽を患います。仁-JIN-にも患者役として出演したので、後世でも有名です。

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参考文献資料
南方熊楠「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語」
浜本隆史「シンデレラの謎」
「山形県米沢市簗沢の昔話」
京都光華女子大学学術リポジトリ「日本昔話 手なし娘に見る精神性」
落語「道灌」古今亭志ん生


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