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#4 邪視随筆「とどまるナギ(凪)すすむナミ(波)」

伊邪那岐(以下イザナギ)は黄泉の国に行った妻‐伊邪那美(以下イザナミ)を、心を殺して遮断する決意をもつ。

その時に宿った感情は非常に人間らしい恐ろしい仄暗いものだったと感じる。
その直後に禊をした右目から月読命(ツクヨミ)、左目から天照大神(アマテラス)、鼻からは素戔男尊(スサノオ)が産まれた────

みはしらのうずのみこ、三貴神の話です。
有名なので知ってる人は多いと推察、当文では割愛。


さて、
個人的には、どうしても、呪いの産物としか思えない……
独りの男が産んだ叫びは子供の肉。心の肉塊。

♪我 一塊の 肉塊なり
戸川純が脳内で吼えている。

妻を待っている間、イザナギは「無見無聴無感」の世界でひたすら耐えます。
葛藤、猜疑が次第に湧き上がり、異心(ことごころ)を宿し、そのような己にまた罪悪感を宿します。

どんなに辛かった事でしょう

きっと、伊邪那岐は黄泉の国から帰還した時、初めて泣いたのです。
愛する伴侶を[己のせいで]失った自責自問、命懸けで取り戻しに行ったら九相の果てを目撃し、挙句の果てに追われ別れ。


だから滝で眼を洗った。肉体あるものは涙を流すと熱を出し冷やします。
涙を拭くことを知らなかったから、流し続けながら、尚も役割を続けようと務めた。素晴らしい自己犠牲のアガペです。

本当の哀しみを乗り越えて「太陽」と「月」そして「万易の大海」を。

初対面では「女が男より喋っちゃいかんよ、やり直そっ」と話しかけたのに
まぁ、凄まじいオチだこと。たく日本最古のツンデレやな。

「よくもこのような私の姿を見ましたね、イザナギ!」

良いじゃないイザナミさん、この人なら、それでも愛してくれたと思うよ。
視たままの姿じゃなく、貴女自身を愛した筈。

こんな見上げた漢は中々居ないと思います、やり直せなかったのかな。
女は容易く残酷になれると表現した神話ですね。

私はイザナギみたいな実直で奢らず侠気に優れた方がタイプですから、
障害があろうが傷跡あろうが、いっぺん認めたら、全て含んで、まるごと愛します。

過去なんてどうでも構わぬぞ、今から2人で頑張ろうじゃないかい、と。

余計な話をしてしまいました。



古事記においてイザナギ、イザナミというものは何代にも受け継がれていき、次第に個人名を差すものではなくなっていきます。
初代イザナギは三柱を産むと、次第に表舞台からフェードアウトしていきます。露草の滴り落ちる如く。
彼は何処に消えたのでしょうか?

西洋では邪視避けとして暖炉に獣の首を飾る慣習がありました。
イザナミがヒノカグツチを産み亡くなったのは、火の側で出産する古代人のならわしが出元だと考えられることがあります。
そしてその際に、母を殺めた火の神の首を、怒りに狂ったイザナギが切り落としたのも
海外の「邪視避け」の為の獣首炉飾と、なにやら因果めいたものを感じるのです。

あちらとこちらの世界を行き来するのに、火は神聖なものであり、また危険な邪視を照らし導くものだったのやも。

ちなみに
漢字「導」の形の由来は、切り落とされた首を手に持ってゆき、標にしたものだという白川静による説があります。興味深いですね。

「古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道(みち)とす」


エジプト・ホルスの眼は右眼から太陽、左目から月を産みました。
イザナギとは逆です。
でも、眼から神を産んだ伝承に関しては一致しています。

開閉神プターの眼からは神、口からは人が生成されました。

それ程に「眼」というものは神聖な祈りの象徴であり、また強力な力を秘めるがゆえに、呪にもなる。

そういえば
漢字の 呪「のろい」 は 「まじない」とも読めます。

邪馬台国の卑弥呼が使った「鬼道」がどのようなものだったのか伝わってはいませんけれど、名前からして道教系(現世利益)の呪術だったかもしれませぬ。

神にも贄にも。
起源の結としては表裏一体、まさに現世に留まった「ナギ」と揺れ動くメタモルフォーゼ「ナミ」の陰陽であったということです。

新作ご紹介。

【連作 粘膜‐伊邪那岐‐】

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アマカム ヒビキ
アマ ウマシ
トキトコロ ウシ
モコロ コロ

メグル アマ

(カタカムナ叙情詩)

妻よ、
許せ。

問い合わせ先→  #乙画廊   https://otogarou.theshop.jp/

ご高覧お待ちしております。

ホツマツタヱは、縄文後期中葉から栄えました。
縄文ブームの火付け役は、かの岡本太郎でした。

実は戦前まで殆ど無視されていた、古代の息吹宿る「火焔型土器」を広めたのは太郎です。

あまりにもセンセーショナル「芸術は爆発だ」など、民に分かりやすい言葉で芸術を浸透させた御大は、当時の美術界からはイロモノとして扱われ、死後に正当な評価を受けています。

そして太郎の遺したものもまた、我々にとって「強烈な表現」であり「身体中に血が熱く沸き立ち、燃え上がる」自己発見の発掘の源になっていくのです。

#南方熊楠 #赤木美奈 #粘菌画家 #岡本太郎 #古事記 #民俗学

参考

「魏志倭人伝」
「邪馬台国と古代史」
「兵庫県立博物館 資料」
「イランの邪視避け」奥西俊介
「道字論」

https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend2/html/010/st14.html

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