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「やっぱり、いつかはJBL。」―妻のボーナスと、あこがれの「パラゴン」。

 「キング・オブ・ロックンロール」のエルヴィス・プレスリー、日本の若者に衝撃を与えた「テケテケサウンド」の使い手・ベンチャーズ、人気絶頂の中で来日公演を行ったビートルズ、それらの影響を受けたスパイダースやブルー・コメッツなどの「グループサウンズ」、吉田拓郎や井上陽水などの「フォークブーム」ー多種多様な音楽が、昭和日本の若者の心を(耳を!)虜にしました。
 現在、西条市で鉄工所を営む高橋清志さんも、そんな「昭和の若者」の一人。しかも高橋さんは、「そんな流行歌を、いかに高音質で聞くか」に徹底的にこだわる、現役のオーディオマニアです。

 うちの親父の兄弟が、ぼくの小さい頃はまだ家におったんよ。男が4人。それが、いまは工場になっているところ、2階の倉庫にしてるところにみな、独身時代におって。60年代よね。みな、エレキギター。ベンチャーズとビートルズ。テケテケテケテケいうて、やりよったけん。それが、音楽はきっかけですよね。それで、自分でもアコギをやって。当時はフォークソング。

 代々続く鉄工所の空きスペースで、当時の流行音楽の影響をまともに受けてギターに没頭する、ちょっと年上の叔父たち。それに触発されて自然とギターを手にすることになる高橋少年。通っていた高校の帰りに新居浜の「マルワレコード」に立ち寄り、その帰りに友達の中華料理店でチャーハンをごちそうになるのが常の、典型的なフォーク少年でした。
 そんな高橋さんに、人生を変える出会いが訪れます。

 で、大学3年の時に友達が、「ちょっとコンサートの券が余ってるから行かんか?」いうて。「なんの券ぞ。」いうたら、「ジャズよ。」いうて。ジャズか・・・当時は、陰気なイメージしかないからね、ジャズなんて。「そないなもん・・・」と思ってたら、「まあいっぺん聞いてみいや、話のタネじゃわ。」いうて、じゃあ行ってみようかとなって。行ったら、そっからどっぷりハマってしまって。もうそっからずっとジャズ。わあ、世界にはこんな音楽があるんだ、と。

 福岡での学生生活中に、高橋さんが偶然聞いたジャズのコンサート。それは、戦中・戦後のアメリカを代表するジャズピアニスト、カウント・ベーシー(1904-1984)率いるビッグバンドによるものでした。「初めて買ったレコードは、井上陽水の『もどり道』」と語るフォーク青年が、小さな「つ」が何個あっても足りないほど‛どっっっっっっぷり‘ハマってしまったという、ジャズ沼。
 そこから、「大学を卒業してからもとにかく、オーディオがひとつほしくなった」という高橋さん。現在も続く、オーディオ人生の始まりです。

 結婚して妻が、市役所に働きに行きよったんよ。そこでボーナスが出て、それでスピーカーを買ってもらったんよ。嫁さんのボーナスで。そのスピーカーはまだあるよ。この前まで息子が使いよったけん。YAMAHAのNS-1000M。そのときはもう、レコードがちょっとずつ増えたから。小遣いを1万円もらってたから、それ持って新居浜のマルワレコードに飛んでいきよったんよ。当時、2200円、2400円、2800円、くらいですから。だから、4枚くらい買えてた。それ以外に使うことがないから。飲みにも行かないし。とにかく、小遣いはレコード。

 奥様のボーナスで手に入れたという、YAMAHAのNS-1000M。1974年にYAMAHAが発売したスピーカーで、音の伝導率が非常によい金属「ベリリウム」を内部に組み込むことに業界で初めて成功した、1970年代の国産スピーカーを代表する記念碑的ベストセラーです。
 しかし、上を見るとキリがないのが、オーディオの世界。

 でも、どれ聞いてもこんな音じゃなかった、と思って。ライブに行った、ナマの音が飛んでくる感じと、サックスの音が違う、ウッドベースの音が違う、ピアノの音が違う。昔っから、「いつかはクラウン」っていうのがあったやろ?それと同じで、「いつかはJBL」なんよ。

 JBL。アメリカに本拠を構えるオーディオ機器メーカーで、プロ・アマ問わず今でも愛用者の多い世界的メーカーです。そのJBLの、解像度の高い音質に衝撃を受けた高橋さん。

 えーとね、昭和48年くらいに、はじめてJBLの音を聞いて。松山のね、いまの三越があるでしょ、その1本西側の筋に、四国電業があったんよ。そこにJBLを展示してたんよ。それを聞いた時に、衝撃だった。えー、こんな音が出るん、いうて。そんなに飛んでくる音を聞いたことがなかったから。もうそれで、いつかはJBL。絶対買うぞ、というて。でもよう買わないから、自作で。音のバランスをとるのに、10年くらいかかった。

 消費税導入以前の当時、生活必需品でなく‛贅沢品・嗜好品‘とみなされるものには「物品税法」の下、ひろく物品税が課されていました。販売品目ごとに税率が設定されており、小売業者が販売価格と税率から算出される金額を納付する、という税です。オーディオ機器の税率は「販売価格の20%」。 販売利益も出しつつ納税も行わなければならない小売業者にとって、このような「物品税法」対象の品目はその税率分を、どうしても販売価格に転嫁せざるを得ません。高橋さんのようにパーツを買い集めて「自作」の道を選ぶのはオーディオ界隈の当時のスタンダードで、それには「こだわり」だけでなく、このような経済的な背景もあったのでした。
 ともあれ現在、高橋さんの自室に堂々と鎮座する、JBLのスピーカー。試聴させていただくとなるほど、目の前で演奏されているかの如く曇りのないウッドベースのピチカート、トランペットのハイトーン、テナーサックスの野太いロングトーン。大音量なのに決してうるさくない、体全体を揺さぶる心地よいグルーヴ感です。
 でも、高橋さんはまだまだ夢があるようで・・・

 まだ、全然完成形じゃないんよ。でも、製造されてないし、ほんとに欲しいのは。もっと上のクラスを聞いとるけんね、だからそれがほしい、となるんよ。
 あれは・・・西の端か。あそこの交差点から南に行ったらね、「プチ」っていう喫茶店があってね。西条の「プチ」の弟さんがしよったところ。そこにね、『パラゴン』があったんよ。ああ、知らんか。JBLの。家具みたいなスピーカーよ。1mくらい高さがあって、幅が2mくらい。こんなのを置いとったんよ。これがね、ぼくの最終目標。これが「プチ」にあった。それからね、「プチ」をやめて、マスターが土居の方に「北米館」をはじめて、そこにも置いとった。北米館でライブがあったら、こっそりそれをカセットに録音しに行ったりね。

 かつて新居浜市中村あたりに店舗を構えていた喫茶店「プチ」にあったという、JBLの「パラゴン」。1958年にJBLが発売した「D44000型パラゴン」というスピーカーで、ステレオ再生用に左右のスピーカーを一体として作り上げた【アンサンブル型】という形態を採った、現在でも「世界一の名機」と評されることの多い製品です。
 その「パラゴン」の音色がいまでも耳に焼き付いているという高橋さんのオーディオライフは、今では息子さんも巻き込みながら、まだまだ道半ばです。

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