あかがねミュージアム はみだし’第3’展示室

新居浜市「あかがねミュージアム」の企画展で、会場での展示には収まりきらなかった事柄を紹…

あかがねミュージアム はみだし’第3’展示室

新居浜市「あかがねミュージアム」の企画展で、会場での展示には収まりきらなかった事柄を紹介しています。 【これまで】 2022.1-3月「マッチのあった青春時代ーわたしたちの思い出展」 【これから】 2023.7-9月「あの日の音の記憶展ー音でふりかえる新居浜・西条の街かど」

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謝辞

 企画展「あの日の音の記憶展 -音でふりかえる新居浜・西条の街かど」は、昭和時代に「若者」として時代を謳歌した世代の皆さまに、お忙しい中ご協力いただき採録したインタビューを中心に構成しました。順不同ですが、ご協力いただきました皆さまをご紹介します。  音響エンジニアとしての長年の経験を惜しげもなくお話下さった「サウンドアートNOANOA」塩崎さま。  ご自宅のJBLで聞かせていただいたアナログレコードの音色に担当者は本当に度肝を抜かれました、「高橋鉄工所」の高橋さま。  鼎

    • 東京キューバンボーイズがやってきた! ―‘労音’に通う若者たち

       レコードで音楽を聞く。あるいは、ラジオ放送に耳を傾ける。  レコードプレイヤーやラジオ、テレビが各家庭に普及し、音楽が身近になってくるにつれて、「もっといい音で聞きたい!できれば、生で聞いてみたい!」と思う若者は増えていくのは、当然の成り行きです。  しかし、ここは松山と高松に挟まれた、新居浜。みながこぞって聞くような人気アーティストの生演奏が聞ける機会は、ごく少ないものでした。そんな中、若者たちに貴重な「生演奏」を届けたのが、「労音」=勤労者音楽協議会が主催するコンサート

      • ユニフォームは、「BIG JOHN」の「トレーナー」が、かっこいい。ー西条のレンタルショップ「ペニーレーン」のスタッフトレーナー

         鮮やかな黄色にあしらわれた、店舗名である「Penny Lane」のロゴ。そしておそらく、昭和時代を生きた若者の多くが心揺さぶられるであろう、「BIG JOHN」の刺繍とタグ。昭和56(1980)年に西条で開店したCDレンタルショップ「ペニーレーン」開店当時の、若者たちの‘かっこいい’をギュッと凝縮したような、スタッフユニフォームです。  1960年代終わりごろからの「ヒッピー」ブーム。アメリカ合衆国を発祥とする、‘ラブ&ピース’と自然回帰を志向するムーブメントです。日本に

        • 『西遊記』と『モンキー・マジック』の月曜日 -愛すべきゴダイゴのレコードたち

           昭和53(1978)年、日曜日の午後8時過ぎ。  ブラウン管の中では堺正章が、あの「ザ・スパイダース」のマチャアキが、バッタバッタと妖怪を退治しています。道中を共にする仲間たち、旅先各地ですぐ恋に落ちてしまう岸部シローと、見た目通り大食いの西田敏行も、コミカルで憎めない。そして、夏目雅子はとにかく美人です。如意棒は伸縮自在で、筋斗雲は‘十万八千里’をひとっ飛びとのこと。抱腹絶倒、七転八倒。新居浜の子どもたちも、そのドタバタ劇にくぎ付けになりました。  放送翌日の月曜日、学

          みんな、BOØWYになりたかった -バンドブーム、レコード店内の秘蔵写真を大公開!

           「日本を代表するバンド」と聞いて、あなたはどのバンドを思い浮かべますか。  若い方なら‘ヒゲダン’や‘ワンオク’、King Gnuと答えるでしょうか。‘アラフォー’世代の方ならGLAYやラルクアンシエル、X-JAPANの名前を挙げるかもしれません。もっと上の世代の方なら、はっぴいえんどなんてシブい答えを出す方もいるでしょう。  今回のエピソードの主役は、この質問にもしかしたら「BOØWY」や「プリンセス・プリンセス」、「THE BLUE HEARTS」と答えるかもしれない、

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          新居浜に「ステレオ」の音が響いた日 -『サウンドアートNOANOA』自慢の音響機材たち

           こう語るのは、老舗喫茶店『サウンドアートNOANOA』のマスター・塩崎さん。かつては、今の店舗から少し南東の前田交差点あたりにあった母屋を店舗にしており、いま店舗のある新居浜市新田町に移転したのは50年以上も前。開店から半世紀以上経った今でも厨房に立ち続ける、パワフルなマスターです。  そんな塩崎さんの‘もう一つの顔’と言うべきか‘本当の顔’と言うべきか、なのが「音響エンジニア」としての顔。今回は、そんな塩崎さんとノアノアのエピソードです。  展示写真は、記憶によると昭和

          新居浜に「ステレオ」の音が響いた日 -『サウンドアートNOANOA』自慢の音響機材たち

          「これ買ってなかったら、いまの仕事してなかったかも。」―新居浜Jeandore伊藤さんの「AIWA CS-80」

           新居浜市・登道南商店街の、かつて映画館「新宝館」だった場所を改装して営業しているライブハウス「Jeandore」。地元出身のバンド「LUNKHEAD」やチバユウスケ率いる「The Birthday」、元「BLANKEY JET CITY」の中村達也など、いまでも名だたるアーティストたちがライブを行う新居浜の‘ロックの聖地’とも言えるライブハウス。その「Jeandore」代表の伊藤俊一さんのかつての愛機が、「AIWA CS-80」です。  アイワは昭和26(1951)年に創

          「これ買ってなかったら、いまの仕事してなかったかも。」―新居浜Jeandore伊藤さんの「AIWA CS-80」

          「やっぱり、いつかはJBL。」―妻のボーナスと、あこがれの「パラゴン」。

           「キング・オブ・ロックンロール」のエルヴィス・プレスリー、日本の若者に衝撃を与えた「テケテケサウンド」の使い手・ベンチャーズ、人気絶頂の中で来日公演を行ったビートルズ、それらの影響を受けたスパイダースやブルー・コメッツなどの「グループサウンズ」、吉田拓郎や井上陽水などの「フォークブーム」ー多種多様な音楽が、昭和日本の若者の心を(耳を!)虜にしました。  現在、西条市で鉄工所を営む高橋清志さんも、そんな「昭和の若者」の一人。しかも高橋さんは、「そんな流行歌を、いかに高音質で聞

          「やっぱり、いつかはJBL。」―妻のボーナスと、あこがれの「パラゴン」。

          バンドマンを支えた新居浜・西条のお店たち

           これまで様々に紹介してきた、新居浜・西条の方々の記憶に残る音たち。それらの「音」に影響を受けて「自分でも演奏活動をしたい!」と思い立ち、エレキやフォークのギターを手にした若者も、歴代(もちろん今でも)たくさんいました。  今回は歴代バンドマンたちを支えてきた、新居浜・西条の‘縁の下の力持ち’を紹介します。 ●新居浜・昭和通りにあった『大阪屋』  昭和時代には、現在よりもさらに活気のあった新居浜の目抜き通り「昭和通り」。レコード店も併設していたという『大阪屋』は、いまのマ

          バンドマンを支えた新居浜・西条のお店たち

          めざせ!マイベスト! -昭和時代のカセットテープ活用術②

           昭和57(1982)年10月。全世界の音楽リスナーにとって、革命的な出来事が起こります。音楽用CDの発売です。  「レコードよりも音質がよく、ノイズが少ない新しいメディア」との触れ込みで販売が開始されたCDは、CD登場と同時期に発売されたCDプレイヤーが各メーカー軒並み20万円前後と非常に高価だったこともあり、すぐにレコードに取って代わることはありませんでした。しかし、廉価版のプレイヤーが登場し始めると徐々にCDソフトの販売も伸び、販売枚数では昭和61(1986)年に、生産

          めざせ!マイベスト! -昭和時代のカセットテープ活用術②

          今日もエアチェック! -昭和時代のカセットテープ活用術①

           現在ではストリーミングサービスやオンラインストアなどで音楽が聞き放題だったり、「この曲がほしい!」という曲単位で音楽を購入したりということが気軽に可能です。  しかし、今回展示で主に取り上げる昭和時代はもちろん現在とは事情が異なり、好きな音楽を聞くには、レコードやCDを買うか、テレビ・ラジオ番組を見聞きするか、でした。  レコードやCDは確かに、好みのアーティストにピンポイントでアプローチすることが可能です。しかし、LPレコードが主流になった1950年代からその座がCDに置

          今日もエアチェック! -昭和時代のカセットテープ活用術①

          アイドル訪ねて何千里!? -昭和時代のアイドルブーム

           『スター誕生!』や『ザ・ベストテン』、『夜のヒットスタジオ』など、歌手を前面に押し出したテレビ番組が熱烈な支持を得ていた昭和50年代。それらの番組の主役は、「元祖アイドル」南沙織を皮切りに、山口百恵、松田聖子、中森明菜、小泉今日子など、挙げればキリがないほどこの時代にデビューを果たしていた「アイドル歌手」と呼ばれた歌手たち。今回は、そんなアイドルたちがテレビの主役だった昭和50年代の、アイドルの活躍に胸躍らせた新居浜・西条の若者たちの姿をご紹介します。  これは、新居浜市

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          海外旅行の夢が、ジェット気流に乗って。 -昭和、深夜ラジオの思い出

           遠くから、ジェット機のエンジン音が聞こえてくる。  ついで、『Mr.Lonely』のストリングスアレンジが静かに軽やかに、それに重なっていく。  そして、「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は・・・」という、あの、甘く誠実な名ナレーションが聞こえてくる。  1967年7月から放送が始まり、今なお放送が続く深夜のFMラジオ番組『JET STREAM』の番組冒頭です。番組開始当初から1994年まで約30年間パーソナリティを務

          海外旅行の夢が、ジェット気流に乗って。 -昭和、深夜ラジオの思い出

          今日も「洲之内電気」で耳を肥やす -愛大生のミュージックライフ

           かつては、いまの新居浜工業高等専門学校の場所に「愛媛大学工学部」のキャンパスがありましたが、1960年代前半にそれが松山に移転して以降、4年制大学に進学するためには市外に出ることを余儀なくされた、新居浜の若者たち。関東・関西方面や広島など、四国を離れて学生生活を送るケースが多かった一方、少なくない高校生は愛媛大学や松山大学を進学先として選び、県内で学生生活を送りました。  今回は、その中から主に愛媛大学に進学した新居浜の若者たちの、昭和時代のミュージックライフを紹介します。

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          「これはエレキいうんじゃ、ベンチャーズ。かっこえかろう。」 -不良と呼ばれていた、かもしれない僕ら

           昭和41(1966)年に来日を果たしたビートルズや、同時期に人気を博していたベンチャーズ、さらに「キング・オブ・ロックンロール」たるエルヴィス・プレスリー。彼らの抱えるエレキギターの音色、さらには‘演奏しながら歌う’というスタイルに、多くの若者が衝撃を受けました。ご存じの通りその衝撃が、その後の日本でのグループサウンズ(GS)ブームやフォークブームにつながっていきます。  今回は、新居浜や西条でビートルズなどに影響を受けてギターを手にした、当時の少年少女たちのエピソードです

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          行きつけは、「別子電波」 -ラジオを自作した少年たち

           長く昭和を生きた方々にとっては当たり前の事実かもしれませんが、戦後しばらくは戦前から引き続き、ラジオを聞くためには今のNHKのテレビ放送と同じく「受信料」を納める必要がありました。  戦後直後は月額2円50銭(昭和21年。同年の鉛筆の価格がだいたい50銭)、その後物価の上昇とともに値上がりし最高額は月額85円(昭和35年前後)、その後昭和37(1962)年にはテレビ普及を背景に受信料が「ラジオ・テレビ両方」と「ラジオのみ」の2種に分かれ、さらに昭和42(1967)年にはラジ

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