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『西遊記』と『モンキー・マジック』の月曜日 -愛すべきゴダイゴのレコードたち

 昭和53(1978)年、日曜日の午後8時過ぎ。
 ブラウン管の中では堺正章が、あの「ザ・スパイダース」のマチャアキが、バッタバッタと妖怪を退治しています。道中を共にする仲間たち、旅先各地ですぐ恋に落ちてしまう岸部シローと、見た目通り大食いの西田敏行も、コミカルで憎めない。そして、夏目雅子はとにかく美人です。如意棒は伸縮自在で、筋斗雲は‘十万八千里’をひとっ飛びとのこと。抱腹絶倒、七転八倒。新居浜の子どもたちも、そのドタバタ劇にくぎ付けになりました。

 『西遊記』は、月曜日に学校行ったらみんなが、堺正章の真似しながら、西遊記の真似をして。『モンキー・マジック』が英語じゃないですか。歌詞が。だから、うそ英語でみんなが歌って。学校行ったら、ピンク・レディーのフリをやるか、西遊記の真似をやるか。そんな子どもたちでしたね。

 放送翌日の月曜日、学校で子どもたちが盛んに真似をした『西遊記』は、続編も含めて昭和53年から昭和55(1980)年にかけて日本テレビ系で放送されたテレビドラマ。岩から生まれたサル・孫悟空(堺正章)、カッパの妖怪・沙悟浄(岸部シロー)、ブタの妖怪・猪八戒(西田敏行・続編では左とん平)が、師匠である三蔵法師(夏目雅子)とともに天竺を目指す物語です。
 放送が開始された昭和53年は、日中平和友好条約が調印された歴史的な年。その前年、昭和52(1977)年から、民放テレビ各局で人形劇やアニメなど「西遊記」をモチーフにした子ども向けテレビ番組が様々に放送されていた中にあって、このテレビドラマ『西遊記』は裏番組で国民的人気の大河ドラマ『草燃える』が放送されていたにも関わらず、それと比肩する人気を博しました。
 そんな『西遊記』の主題歌を歌っていたのが、1975年に結成されたロックバンド・ゴダイゴでした。

 わたしは弟が、『西遊記』の、ゴダイゴのサントラがすごい好きで。学校から帰るとステレオで『モンキー・マジック』が延々かかる。ゴダイゴは、流行りすぎ、というくらい流行ってたんだと思いますね。昔って、今みたいに人気や興味が細分化されてるというかそういうのではなくて、みんなが同じのを聞いてたので。

 『西遊記』オープニングテーマの『モンキー・マジック』や、エンディングテーマの『ガンダーラ』、『ビューティフル・ネーム』、松本零士原作で昭和54(1979)年に公開された映画『銀河鉄道999』の同名主題歌など、発表作のすべてが大ヒットになっていた当時のゴダイゴ。所属会社・日本コロムビアの1979年の経常利益倍増は「ゴダイゴさまさま」、これらの大ヒットの賜物とされました。

 国際子ども年(正確には「国際児童年;昭和54(1979)年」)というのがあって、そのころに『ビューティフル・ネーム』というのが流行ったんですけど、その頃が、外国人の友達がイベントでできたりして、個人的に新しい世界に自分が行くような頃で。で、『銀河鉄道999』が流行ったときに、父が体調を崩すようになって。なので、ほんとは悲しいんですけど、悲しい頃の曲なんだろうけど、なぜかその曲を聞くとワクワクしてくる感じで。だから、瀬戸大橋を渡るときとか、飛行機に乗るときとか、必ず頭の中でその曲がかかるんですよ。どっか新しいところに行くときは、ゴダイゴが。とくに『銀河鉄道999』が。小学生のときは歌詞なんか分かってなかったから、空耳でうそばっかり歌ってましたけど。なんかいつのまにか友達の間では私がゴダイゴを歌えることになってて、みんなの前で披露して、となったり。
 アメリカに行く途中にも、かかってた。アメリカにいる間も、ちょっとつらいと日本の曲が聞きたくなって。でも浅はかなことに、ゴダイゴのCDを1枚も持ってない。しょうがないから鼻歌で歌うしかないよね、となって。音楽を聞いてるときだけ、あのころのワクワク感というかがよみがえるの。最終的に残ったのは、ゴダイゴですね。

 ものすごい最大瞬間風速で人々の人気をさらったのち、昭和60(1985)年に一旦‘解散’することとなるゴダイゴ。幾度かの再結成を経てなお、ボーカルのミッキー吉野は「さあ行くんだ その顔をあげて・・・A journey to the star!」と明るく歌い続けています。

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