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アイドル訪ねて何千里!? -昭和時代のアイドルブーム

 『スター誕生!』や『ザ・ベストテン』、『夜のヒットスタジオ』など、歌手を前面に押し出したテレビ番組が熱烈な支持を得ていた昭和50年代。それらの番組の主役は、「元祖アイドル」南沙織を皮切りに、山口百恵、松田聖子、中森明菜、小泉今日子など、挙げればキリがないほどこの時代にデビューを果たしていた「アイドル歌手」と呼ばれた歌手たち。今回は、そんなアイドルたちがテレビの主役だった昭和50年代の、アイドルの活躍に胸躍らせた新居浜・西条の若者たちの姿をご紹介します。

 娘が、明菜ちゃんが好きでねえ。なんて言うたっけ、あの『ウォンテッド』歌いよったの、ああピンク・レディーか、そういうのが出るいうたら、新聞のテレビ欄に赤い線を引いて。学校から帰ってきて、時間来たらテレビの前で、「今日は明菜ちゃんが出る!」とかいうて張り切って見てましたね。
 あの頃は、メーカーからポスターを送ってきてて、みんなが「ちょうだいちょうだい」いうて来てましたね。「いま貼ってるやつでもいいから、剥がしたあとでいいから、ほしい」というのもあったりね。

 これは、新居浜市内で昭和40(1960)年頃から営業していた「ナガサキレコード」の方の思い出。もちろんインターネットなどは普及していない時代、画像をダウンロードして待ち受けに、なんてこともできません。そんな時代に、アーティストの一番かっこいい/かわいい瞬間を切り取ったであろうポスターは、喉から手が出るほど欲しい逸品。「剥がしたあとでいいから、ほしい」という切実な願いは、それぞれの‘推し’がいる多くの若者が抱いたものかもしれません。

 山口百恵とかもほんとすごかった。ほんとにすごくファンがいて、百恵ちゃんのポスターがあったらちょうだいよ、とかっていう方も結構いて。絶対に予約をしてくれて。もうちょっとしたら、なんだったんかいね、アイドルのグループもいろいろ出てきだして。あのころ南野陽子とかもすごい流行ったアイドルよね。そういうのをみんな買ってたわいね。高校生にしたら、新しいの1枚買うのも大変やと思うけど、貯めてたんでしょうね。

 説明不要の昭和のトップアイドルたる、山口百恵。ドラマ『スケバン刑事Ⅱ』で一躍トップアイドルとなった、‘ナンノ’こと南野陽子。歌声をウリにしたり、キュートなルックスをウリにしたり、女優としても活躍したり。アイドルブームの後半ともいえる昭和60年代には、「クラスメイトにいそうな親近感」をウリにする、今に通じるコンセプトでヒットしたグループもいたりと、まさに「ブーム」と呼ぶにふさわしい多士済々ぶり。そんな中で、テレビやポスター、雑誌などでは飽き足らず「自分の目でアイドルを目撃したい!」と願う若者たちが出現するのも、ごく自然なことでした。

 高校生の男の子で、アイドルグループのおっかけをするんですよね。新居浜工業の子だったかなあ。何人かで来るんですよ、お店に。それで「九州の方にそのアイドルが来るんじゃ。」いうて教えてくれて。でもお金がないから「自転車で行こう。」となった、とかそういう話をしよんよ。「すごいねえ、たいしたもんじゃ、がんばらんかいよ。」というたり。その子らが10人くらいで計画を立てて。結局はだんだん脱落して、ひとりだけ「ぼくは最後まで行ったんじゃ。」という人がいて。「たいしたもんじゃねえ、そこまでいったらほんものじゃ。」というのがいて。自転車で行くん?と思ったねえ。たいしたもんよねえ。アイドルのパワーよねえ。なんでも一生懸命で、ええことやなあと思いましたね。

 時代の波に乗るトップアイドル。ツアー公演があったとしても、新居浜公演が予定されることは稀、あるとして松山公演や高松公演など、近隣のより規模の大きい都市を会場としたものだったでしょう。そんな中で判明した、‘推し’の九州公演。どんなルートをたどったかは分かりませんが、高校生の唯一にして最強の交通手段(?)たる自転車を駆ってそこまでたどり着いたのは、文字通り「猛者」です。
 行きはよいよい、帰りは・・・。アイドルパワーで九州までたどり着いたただ一人の彼が、どんな帰り道を過ごしたのか、おせっかいながら気になってしまいます。

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