グルグル思考をやめたいけど自分は自分と向き合うしかない。
「〇〇って気にしいだよねー」「え、そこまで考えてるん」
なんて言われることが私にはよくある。
そうですよ、気にしいですよ。と思って生きている。
そしてこうゆう言葉を言われたとき、「メンタル弱ー」って見下されているんじゃないかとか思ってしまうこともある(はい、認知のゆがみです)
だから完全に信頼できる、心理的サークル(私が勝手に呼んでいる)の中心に近い人にしか愚痴とか弱音は吐かない。
と、いつも決めているのにおしゃべりの私は気を許した瞬間ぽろっと言ってしまうことがある。
この人には言ってもいいかなーなんて思ってうっかり言ってしまって、結局後悔するなんてことがあったりする笑
「あーめんどくさいやつだと思われてないかな」とか
「あー結構グサッと刺さること言われたな、でもこの人はこういう考えなのであって悪いわけではないから、気にしないでおこう」とか
しばらくグルグルしてしまうことがある。
傷ついた後にでもその人は自分の考えを言っただけで悪くないんだと正当化する。なるべく嫌いな人を作りたくない。
これに共感してくれる方いますか?笑
気にしてしまう性格の自分を自分が一番理解しているつもりだから、
そんな自分をうまくコントロールして生きている。
だけど、ときにコントロールできなくて、全てをネガティブに捉えてしまったり、無性に涙が溢れたりする。
でも涙が出たときは、あー自分辛いんだな、と認めてあげるようにしている。そして、思考がカオスなんだなと思うようにしている。
そして何も考えずにただひたすら泣いて、
落ち着いたらノートに感情を書き殴っていく。
これで一旦区切りをつける。まあ、つけれない時もある。そのときはしょうがない。
他にも一応コントロールする方法を持ち合わせてはいるのだが、最近は文章を読むとストレスが緩和されるように思う。
新聞の人物、誰かの苦労とかそれを乗り越えた経験とかそういう記事を読むこと。
私は多分、というか結構認知のゆがみがあると思う。
自覚している。
誰かの言動に対して、あー絶対こう思ってるなとか勝手に、かつ無意識に浮かびがち。
だから、何か人物を掘り下げたような、その人の生き方や考え方を知れるような文章を読むと、自分の考え方が全てではないと改めて思わされる。
自分は自分を生きているから、ついつい主観で物事を捉えてしまうのだけど、なんというか、自分の考え方はあくまで全体の一部でしかなくて、他の考え方と同様に点在しているだけなんだなとか思ったり。
語彙力のなさ、、うまく言葉にできない。笑
もっと自分の人生に、自分の感情に集中できたらいいのに、それができなくてときに辛い。
自分の人生なのに、心理的サークルの外枠の人たち(会社の人とか笑)なんてモブキャラでしかないのに、
そこに悩まされてしまう。
ドラマがあったら、エキストラの人にスポットは当たらないのに、私は当てにいっているようなそんな感じ?
文章力がなくて、全然伝わらないと思うけど、
あーなんとなく言わんとしてることわかるでと誰かに伝われば嬉しい、、
認知行動療法めっちゃ気になる。
あ、関係ないけど、
最近おぱんちゅうさぎにハマりかけてます。
あれみたらなんかクスッと笑える。
見た目うんぬんより、愛着のわくキャラクターだな〜なんて思っております。笑