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あの頃の焦燥感

生き急いでいる感

今はそんなことはないのですが、20代半ばぐらいまでは生き急いでいたな~と思います。
何かに追われているかような、何かをやらなきゃという気持ちにいつも囚われて、忙しくしていた気がします。

大学に通っている間も、単位を最低限死守してあとは遊びほうけるとか、バイト三昧とかそういうタイプではありませんでした。
授業をきちんと受けつつ、大学が開催するTOEFL講座に申し込んだり、図書館で読み切れないぐらいいつも本を借りて、下宿先に積んでいたり、なんだか勉強することに必死だった気がします。

さらに、フルコマを2日含むぎっしりの時間割を消化しつつ、ESSサークル、バレーボール部、創作部を掛け持ちし、塾講師、飲食、単発派遣多数のバイトをしていた時期が大学生としてピークに詰めていたと思います。

予定のない日を作るのが嫌で、隙あらば友達との予定も積極的に入れました。といってもお金はない学生だったので、ご飯に行ったりカラオケに行ったりするぐらいですが。

充実した生活、有意義な日常、というものに固執していたし、将来に向けて備えなければという気持ちも強かったです。
それでもこれで十分だと、満足できたことはなかった気がします。

何に追われていたのでしょうか。
あの焦燥感の正体はなんだったのでしょうか。

どうでもよくなった

その後、博士後期課程まで進学しました。
そこまでは自分なりに順調ではあったと思います。

ところが博士課程に入って、生き急いでがんばってきたことが全て無意味だったかのように、行き詰まりました。
念入りに積み上げてきた日々の上にピースを重ねられなくなった。
今までのやり方では、自分の人生の続きを構築できなくなりました。

きっちり予定を詰めて足固めしてきたことが大して生かされず、そうやって何もできない期間を何年も過ごしました。本当に虚無の時代です。

やがて生き急ぐこともなくなりました。
もう自分は正当な努力のルートから外れてしまった、と諦めもありました。

どうでもよくなっちゃったのかもしれません。
必死に何かを考え続けようが、何にも考えずにぼーっと生きようが、大して大きな差はなかったんじゃないかとすら思います。

生き急いでいた日々に意味を見出せないぐらい、今の自分は何も得られていません。

今を生きてればいい

なんであんなに何かに追われていたのかわかりませんが、将来が不安だったからかもしれません。
自分に自信がなかったからかもしれません。

不安やコンプレックスを少しでも解消するために、何もしない時間を作らないで、できる限りのことをできる限り詰め込む。
それでも上手くいかないときは上手くいかないものです。

ただ私は正直ひどく挫折できてよかったとも思っています。
博士課程まで順調だったら、今も生き急いでいたと思います。

もうキャリアも婚期も逃しているので、生き急ぐ理由もありません。
若手研究者として評価されるのも間に合わないと思います。
自分が大した人間ではないことを理解できているので、見栄を張ろうとも思いません。優秀に見せようとすることにもこだわりません。

少なくともあの頃の焦燥感からは解放されました。

今は何にもない日はたくさんあります。
むしろ何にも予定がない日ばかりです。

最低限、今日という日をつつがなく終えられればいい。
その上で、今の自分に可能な範囲で何かができればいい。


お読みくださりありがとうございました。
こちら博士論文を書き上げるために、がんばっております。

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あかちゃん



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