ちんぷんかんぷんな文章がある日スッと読めるようになる:レミニセンス現象の話
難解な本
日本語で書いてあるのに、何の話をしているのかよくわからない本はいくらでもあります。
全く意味が分からない本。言われていることがピンとこない本。
そんな本に出くわしては、頭良くなりたいなぁ…とぼんやり思います。
参考文献に入れたいのだけど、ちゃんと理解できているわけではないという論文も多く、その扱いの悩ましさたるや。
研究をするにあたって本来読んでおいた方がいい本、理解しておいた方がいい内容があることを理解しつつ、どうしてもわからないことは出てきます。
全部を完璧に理解しようとすると、いつまで経っても自分の論文を書くことはできません。
調べるばかりで何も生み出せないのでは意味がありません。
自分から何か発信をするときは、どこまで知っているのかを明確にします。
習得できていない領域を知ったかぶりで文に組み込もうとせず、明確に自分の中で線引きをし、そして読み手にも線引きしてあることが伝わるようにするのが大事だと思っています。
論文においては、事実を情報として補足するため、意見に説得力をもたせる根拠を述べるため等、文献を引用する理由・役割をはっきりさせておくことを心掛けています。
レミニセンス現象
一方、自分には理解できない本というレッテルが貼ってあったはずの本が、急に読めるようになる体験を何度もしています。
他のことを学んだことで、ちんぷんかんぷんだった文章を突然ハッと理解できるようになります。
これって、こういう話をしていたのかーーー!!!と一気にわかる瞬間は最高に気持ちいいです。
まさに点と点が線で繋がる感覚ですね。
物事の理解に限らず、苦手としていたことをずっと続けていたらある日突然できるようになることもありますよね。
これはどうやら、レミニセンスとよばれる現象らしいです。
ようは情報を覚えた直後よりも、時間が経ってから想起されるようになることを指すようです。
その時に理解できなくても一生懸命取り組んでいるうちにいつか意味を成すという経験は学びを癖にさせます。
勉強って楽しい!
大人になってから、高校の授業を受け直したいとか、大学の講義を今ならもっと理解できる気がすると感じることがあります。
でもそう感じられるようになるに至るまで、よくわからないまま勉強していた日々が土台になっています。
理解できない日々が、理解できる今日につながるのです。
だからこそ勉強って奥が深くて楽しいなと思います。
役に立つのか立たないのかもよくわからない時代に、がむしゃらに学ぶことも無意味ではないと思っています。
だから知識の価値の取捨選択を早まらない方がいいと感じます。
早い段階でそういう思考の癖がついてしまうと、知識が狭いところに偏ってしまいます。
どこにでも枝分かれしていけるように、種をコツコツと植えておく。
いつかどこかで芽生えるようにと思いながら、今日も難解な文章を読んで頭を悩ませます。
お読みくださりありがとうございました。
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あかちゃん
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