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混乱の中で

竹内万里子

 一年前のことを、少し思い出してみましょう。あの頃、私たちは日々どのように暮らし、何を思い、どんな景色を夢見ていたのだったか。それらの多くがこの一年間で、感染症の世界的拡大によって目の前で静かに崩れていきました。私たちは今なおその渦中にあり、日々夥しい数の死とその予感を抱えて生きることを余儀なくされています。これほどの未曾有の混乱の中で学生生活最後の一年間を全うし、卒業・修了作品を制作されたみなさんに、まずは心からの敬意を表します。

とりわけ混迷する時代においては、「前を向く」ことが求められがちです。現実的で、正論に見え、説得力がある意見や価値観に従い、何かの役に立つこと。その一方で、「後ろを向く」ことが褒められることはありません。なぜならそれは、前を向く中で失われたもの、忘れられたものと向き合うことだからです。現実的でなく、夢みがちで、ほとんど役に立たないように見える。その行為の正当性を唱えようとする声はたびたび口ごもり、先細り、周囲の声によって瞬く間にかき消されてしまいます。

 しかし芸術の営みとはつねに、後ろを向くことだったのではないでしょうか。「前を向け」という号令に全員が従っている時でも、彼らが踏みにじった小さな草花を、投げ捨てた小石をひとりで拾い集め、そこに価値を見出すこと。それは人間を否定する行為であるどころか、身命を賭して人間の価値を肯定する行為に他なりません。なぜなら私たち一人一人もまた、草花や小石と同じように時代に翻弄され、消え去り、忘れられていく存在なのですから。そうでなかったら、人間は詩を書くことも、絵を描くこともなかったはずです。

 ちょうど80年前、旭川師範学校美術部の学生5名が不当に逮捕・投獄されるという事件がありました。その被害者の一人である松本五郎さんは、昨年99歳で他界する直前、毎日一生懸命絵を描いていたと言います。その理由を尋ねられ、彼はこう答えたそうです。「描かないと生きている値打ちがない。習慣なんだね。上手に描こうなんてことじゃない。生きているってことを確かめる、それが描くっていう行為だね。」

 私はこれ以上の答えを知りません。前へ前へと押し流され、生きていることの実感を見失いそうになった時には、自分が学生生活の最後に作った作品のことを、どうか誇り高く思い出して欲しいと思います。


(2020年度京都芸術大学卒業展・大学院修了展 美術工芸学科会場に掲示された文章より)


竹内万里子
1972年生まれ。批評家。京都芸術大学教授、美術工芸学科学科長。早稲田大学政治経済学部卒業(政治学)、早稲田大学大学院修了(芸術学)。2008年フルブライト奨学金を受け渡米。「パリフォト」日本特集ゲストキュレーター (2008年)、「ドバイフォトエキシビジョン」日本担当キュレーター(2016年)など、数多くの写真展を企画制作。国内外の新聞雑誌、作品集、図録への寄稿、共著書多数。訳書に『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(ジョナサン・トーゴヴニク、赤々舎、2010年)、その続編『あれから−ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(今夏刊行予定)など。単著『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッセイ』(日英対訳、赤々舎、2018年)は米国の「PHOTO-EYE BEST PHOTOBOOKS 2018」に選出された。


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