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いわゆる「同じ顔」事件:羽二重四季緒の訂正推理 第三話訂正編

「ここが蔵書室だよ」
 ぼくが丹羽先生に案内されて蔵書室を訪れる頃には、日は沈みかけていた。
「私が赴任する以前にはもうほとんど人がいなかったから詳しくはないが、図書部というのは、生徒会における執行部のようなものだったらしい。今は図書室の仕事も図書委員の面子で十分だからね。君が所属したいというのなら一向にかまわない」
 てっきり、「一度きりの高校生活なんだからもう少し考えたら」くらいは言われるかと思っていたので、少しだけ肩透かしを食らった気分だった。とはいえ、すんなり話が行くならそれでいい。
「じゃあ、入部届けに先生のサインを貰ってもいいですか? 担任に提出するために必要なので」
「ああ」
 ぼくから入部届けを受け取った先生はさらさらとサインを記す。そうして、入部届けをぼくに差し出した。ぼくは受け取ろうとして左手を前に出したが……。
 入部届けを掴む直前、先生は入部届けを引っ込めた。不審に思って先生を見ると、どこか悪戯めいた笑みを浮かべていた。
「これを渡す前に、ひとつ聞いていいかな?」
「…………なんですか?」
「さっきの騒動について、君はずっと何かを言いたげにしているようだったけれど、どうかな?」
 気づいていたのか、ぼくが、真相に辿り着いたことに。
「話したところで意味がないでしょう。あの一件は、ぼくたち三つ子が示し合わせたように図書室を入ったことで起きた事態、ということで会長たちの中で決着しているんですから」
「でも君は納得していない。私もね。三つ子という解答は奇天烈で食いつきたくなるが、偶然にしても出来過ぎだ。納得していない人間がここに二人いるのなら、話すことは無駄ではなくなったね」
 そう言って、先生はほほ笑むのだった。
 思わずため息を吐く。
「いいでしょう。では手短に、会長たちの推理を訂正します」
 解決編ならぬ訂正編、スタートだ。
「まず事態を整理しましょう。謎は、鷹橋会長が目撃した『図書室に一度入り、出ることなくもう一度入り、そしてまた出ることなく入ろうとしたぼく』です。図書室を退室することなく三度入室するドッペルゲンガー。その答えとして彼らが用意したのが、ぼくたち三つ子の存在です。しかしこれは馬鹿馬鹿しい」
「なぜ?」
「鍵は仲人です。三度入室するドッペルゲンガーの内、三度目に目撃されたのは疑いなくぼく自身です。つまり残る一度目と二度目がそれぞれ仲人と猛ということになる。しかし猛はともかく、仲人はそのどちらにも当てはまらない」
「当てはまらない?」
「はい。やつが図書室に来たのは会長を手伝うためであり、ならば二度目の入室がやつならば、画鋲を拾っている会長を無視はしない。一度目の場合、ドッペルゲンガーは掲示板を見た後図書室に入っていき、図書室のどこかへ消えたという話でした。一度目が仲人なら、やつはやっぱり会長を手伝うためにいるのだから、仕事現場の掲示板前から消えはしない。しかし現実は逆で仲人は消え、会長は鶯谷さんと会話を始めています」
「なるほど、人数が足りなくなるね」
 そう。ぼくたちが三人いることが会長たちの推理の肝なのだから、仲人がドッペルゲンガーのどれにも当てはまらなくなった時点で彼らの推理は崩壊する。
「すると、どういうことだろう?」
 丹羽先生は首をかしげる。
「三度目は君として、一度目と二度目のドッペルゲンガーたりえるのは猛くんだけだ。彼が何かしたのかな?」
「動機がありません。回りくどい上にインパクトも薄い驚かせ方で会長を驚かせてどうなるんですかね」
「動機、か」
「動機です。ぼくが終始疑問だったのは動機ですよ。ドッペルゲンガーが何人いようと関係ない。手の込んだことをして、会長を驚かせるメリットはどこにもない」
 すると、どうなるか。
ドッペルゲンガーの存在自体が疑わしくなりませんか? なにせ目撃者は鷹橋会長だけですから。普通なら会長の頭を心配するべきなんですよ」
「それもそうだね」
 先生は鷹揚に頷いた。
「でも君たちはドッペルゲンガーの存在を前提に話を進めていたよね。どうしてだい?」
「会長が見間違えるはずがないと言って、ぼくの眼鏡を示したからです」
 クリアイエローのフレームを持つ眼鏡。この目立つ眼鏡が特長になって、会長は三回目撃したドッペルゲンガーをぼくだと断言したし、それなら見間違いではないだろうとみんなもひとまず納得した。
 そう。
 ドッペルゲンガーはぼくだと、会長は言ったはずだ!
「ぼくと仲人、そして猛がどれほど似てようが関係ないんです。会長はぼくの眼鏡という特徴から、見間違いではないと言いました。それが気づけば、ぼくたちが『同じ顔』だから見間違えたということになっている。この時点でぼくは、会長が嘘を吐いているのをほぼ確信しました」
 ぼくたちがどんなに似ていようとも、眼鏡をかけているのはぼくだけだ。見間違えるなどありえない。
「しかし、それは鷹橋くんが安易な結論に飛びついただけという可能性もあるんじゃないのかい?」
「そうかもしれません。しかし鷹橋会長の嘘が複数にまたがっているならどうでしょう」
「彼は他にも嘘を?」
「はい。二つほど大きな嘘を。ひとつは画鋲ケースの話です。会長は二度目のドッペルゲンガー目撃の直前、画鋲を散乱させています。その時のことを会長は、画鋲ケースを床に落とし、その拍子に蓋が外れてしまった、と表現しました。しかしこれはありえません」
 画鋲ケースの蓋はスクリュー式だった。ぼくは会長が画鋲ケースの蓋をひねって開けようとしているのを見た。さらに会長がぼくを見た時に画鋲ケースを落としたのも見たが、蓋は衝撃で開いたりなどしなかった。
「ではどうして、画鋲ケースの蓋が開いて中身が散乱したのか? 会長があらかじめ蓋を緩めていたからです。鶯谷さんは手を怪我して蓋を開けるのは困難でしたし、そもそも会長のために蓋を開けてあげるタイプでもないでしょうから」
 あいつとか言っていたし。
「では画鋲が散乱したことで、何が起きたか。これも鶯谷さんははっきり言いませんでしたが、言葉から推測して、画鋲が散乱したのはカウンターの手前側、つまり会長のいる方だと推測できます。なぜなら彼女は『仕方なくカウンターから会長のいたところへまわって』画鋲の回収を手伝ったんですから。すると…………」
「鶯谷さんが画鋲に集中している間に、鷹橋くんだけが二度目のドッペルゲンガーを目撃するチャンスを得られる?」
「そういうことです」
 これがカウンターの奥側、鶯谷さんがいたところへ散乱させては駄目なのだ。屈んで画鋲を拾おうとすれば、自然、カウンターの陰に隠れることになり、図書室を出入りする生徒を確認できなくなる。会長は確認が可能(というてい)で、鶯谷さんは確認できないという状態が必要だ。
「そもそも二人は本当にカウンターを挟んで話し合っていたのかい?」
「そう考えるのが妥当でしょう。鶯谷さんは会長が来たと同時に図書準備室から出てきたわけで、準備室の扉はカウンターの奥にあるじゃないですか。それに会話の間、鶯谷さんは図書室の出入りを監視できた旨も言っているので」
「じゃあ、鶯谷さんにその状態……図書室の出入り口を監視されていると不都合があったということは……」
「嘘でしょうね。会長が目撃したという二度目のドッペルゲンガーは」
 すると、一度目も怪しくなってくる。目撃者が嘘ばかりの鷹橋会長だけなのだから、一度目のドッペルゲンガーも嘘と考えるのが妥当だ。
「でも結局、動機の問題に収束しないかい?」
 丹羽先生は肩をすくめる。
「そうでもないですよ。会長のついた二つ目の嘘を考慮すれば」
 それは他でもない、仲人のことだ。
「会長は掲示板に掲示物を貼るために来たと言っていました。仲人が来たのもその手伝いです。するとおかしいんですよ。会長も仲人も、その貼るという掲示物を持っていないんですから」
 会長は言わずもがな、準備室に顔を出した仲人も手ぶらだった。
「そうか……では、仲人くんを呼び出したのは」
 先生もいい加減、気づいたらしい。
「はい。すべては会長の筋書きだったんですよ。ぼくが偶然入り込んだことで少し複雑にはなりましたが」
 会長の筋書きは本来、図書室に二度入室するドッペルゲンガーを目撃することだったはずだ。もちろん、ドッペルゲンガーの存在など真っ赤な嘘だ。しかし目撃したと鶯谷さんらに強弁している最中、仲人がやってくる。仲人の姿こそドッペルゲンガーと同じだと会長が騒げば、図書委員の誰か一人くらい、噂でぼくたち三つ子のことを聞き及んでいるだろうからそこから話が波及する。
 そうすれば会長は、大手を振ってぼくたちを確認するために並べて揃えることが出来るのだ。
「とはいえ、図書委員の人達はぼくたちのことをまるで知らないようでしたね。ついうっかりそんな人たちの態度につられていましたが、考えてみれば会長がぼくたちの存在を知らないのはおかしいんです。今日のHR終わり、仲人はぼくが執行部に勧誘されようとしている旨を話していましたから、会長は知っていて当然だった」
「つまり、やじ馬根性を満たすためにこんなことをしたのかい? 生徒会長とあろう者が」
 丹羽先生はやれやれと息を吐く。
「ぼくたちのいる教室を覗き見ないだけの羞恥心がある分、変にねじくれた作戦を立てたみたいですね」
「こちらから事情を話して、彼に注意をしておこうか?」
「いえ…………」
 先生の申し出はありがたかったが、それこそ意味のないことだろう。ぼくの推理は推測が多い。彼らの話しぶりから得た情報も多く、「そんなことは言っていない」と言われればそれで終わりのものだ。
 明らかに間違えている会長たちの推理よりは真実に近い。その実感だけがあればいい。それに……。
「好奇の目線にはいい加減慣れましたから。お手を煩わせるほどでは」
 


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