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いわゆる「同じ顔」事件:羽二重四季緒の訂正推理 第二話解決編

「あの」
 声をあげてみる。鷹橋会長も鶯谷さんも、他のギャラリーも今までぼくがいるのやらいないのやら分からない会話を続けていたくせに、一斉にこっちを見た。好奇の目に慣れているといっても、こういうのは範囲外だ。委縮しそうになるのをこらえて言葉を続けた。
「図書室の出入り口は一か所しかないんですか? うっかりその前提で話してましたけど」
「ないぞ」
「いやあるぞ」
 ギャラリーの答えはばらけた。どっちだ。
「実質ないな」
 鶯谷さんがまとめた。
「図書室の出入り口は、あんたが入って来た一か所と、あとはここにある」
 ここ、と彼女が指さしたのは、鷹橋会長の背後の扉だった。やっぱり繋がっていたのか。
「そこから出たというのは?」
「あり得ないでしょ。図書準備室の出入り口はカウンターの裏にあるんだから、そこを人が通ろうとしたらさすがにあたしも気づく」
「それに」
 ギャラリーも付け足す。
「俺たちはずっと準備室にいたし」
 だから「実質ない」わけだ。ううん、どうしたものか。
 ひとつ、仮説がないこともない。二度目のぼくの、図書室の入室を捉え直すのだ。
 鷹橋会長は、二度目のぼくが入室したところを目撃したと考えているようだが、これを退室と捉え直すのだ。それならば何も不自然はない。
 一度目の入室の後、二度目の入室、そして三度目の入室。
 ではなく。
 一度目の目撃は入室。二度目の目撃は退室。三度目はまた入室だ。
 入って、出て、また入るという自然な動作。
 その真ん中の退室を入室と勘違いするだけで、こんな謎は生まれてしまう。
 だが、この仮説の問題点は他でもない、図書室に三度入室したドッペルゲンガーをぼくと認めてしまうことだ。残念ながらぼくが今日、というより入学して今まで図書室に来たことがなかったという事実は覆らない。
 この仮説を提示すれば、とりあえず場は収まるかもしれない。ぼくを見間違えるはずないと息巻いている会長も、入室と退室を間違えるというのは、画鋲を拾っている最中だったし勘違いしたと認めてくれるかもしれない。
だが、それはできないのだ。たとえこの仮説で面倒を避けられるとしても、駄目だ。
 もう一つ、可能性を考えはしたが……。これはもっとありえない。鷹橋会長の証言と完全に食い違う。
 そして気になるのは、会長の見たドッペルゲンガーが誰であれ、こんな事態を引き起こした動機だ。そもそも意図的だったのか偶然だったのか、意図的ならその動機は何か。
 あるいは…………。
 考えが煮詰まった感があった。疑問点も出尽くして、ぼくも会長も鶯谷さんも、ギャラリーの数人も黙りこくってしまった。気まずい重苦しさとは別種の、沈鬱な空気が図書準備室に流れた。
 その空気を打破したのは、外からの来客だった。準備室の扉のうち、図書室側のものがノックされたのだ。
「君たち、何してるんだい? カウンターが空っぽだよ」
 扉を開けて入って来たのは、中年、よりは少し若いくらいの男性教諭だった。川で拾ってきた流木のような、痩せこけた顔をしている。扉に触る指もガリガリに細く、少し健康状態を疑いたくなるほどだった。
「丹羽先生」
 扉のすぐそばにいた鶯谷さんが反応する。
 丹羽先生? この人が?
「すみません。ちょっといろいろあって」
「そうなのかい? まあいいけど」
 いいのか。適当な相槌を打ちながら、丹羽先生はするりと狭い図書準備室に体を滑り込ませた。
「それより、さっきからお客さんがここに入っていいかどうか悩んでたよ。執行部の子で、掲示物を貼る手伝いに来たとか言っていたけど、鷹橋君が呼んだんじゃないかな?」
「あ、ああ! すっかり忘れてた」
 会長が柏手を打つ。
「誰? 一年生?」
 鶯谷さんが聞く。
「仮入部中のな。おい、入ってこい」
「入ってこいと言っても……」
 扉の向こうで声がした。しかし、どうも、声に聞覚えが……。
「ぎゅうぎゅうじゃないですか。奴隷船ごっこでもしてたんですか?」
 入ってきたのは、他でもない仲人だった。両手をぶらぶらとさせながらも、怪訝そうに図書準備室の中を見回しながら。そしてぼくの姿を認めた。
「げっ」
「あっ」
 ぼくたちはお互いに顔を見合わせて、それから顔をしかめた。ぼくはこれから起こる展開を読めたから顔をしかめて、たぶん仲人もそれは同様だっただろう。
「お、お前ら……」
 会長が立ち上がり、目を見開いた。
双子だったのか!?」
 その態度はわざとらしかったが、ぼくたちに出会った人間の半数が取る程度の大仰さではあった。多かれ少なかれ、その場にいた人間は全員が驚きのどよめきを上げた。
 ただひとり、丹羽先生だけが超然とおだやかな姿勢を崩さなかった。
「双子?」
 鶯谷さんがうめいた。
「じゃあ……」
「いやしかし、似てるな。こりゃ見間違えるか?」
 鷹橋会長はぼくと仲人を交互に見た。
「えーっと、じゃあ。同じ顔が二人いれば問題は解決するか? ほら、一度目に羽二重くん――四季緒くんの方が入室してから、二度目に仲人くんの方が入室すればいい。出ることは考えなくてもよくなる」
「…………何の話してるんすか?」
 事情の呑み込めない仲人は困り顔だが、説明する義理もないし放っておいた。それはそれとして、鷹橋会長の言葉にぼくはひっかかりを覚えていて、その正体を探るのが先決だった。
「いや、足りない」
 会長の言葉を訂正したのは鶯谷さんだ。
「思い出してみな。三度目が四季緒の方だ。もしこいつらがあたし達の見ている間に図書室を出なかったとしたら、もう一人必要じゃないか?」
「そ、そうか……」
 仮に、一度目から三度目までの、鷹橋会長が見たドッペルゲンガーを全員別人とするなら、そういうことになる。仲人を何度目の侵入者に当てはめようと、ぼくが三度目であることは確定だから、一人足りない。鶯谷さんはそう言っているのだ。
「まあいい」
 鶯谷さんは肩をすくめて、これ以上の議論は無駄だと示した。
「そら、仕事仕事」
 彼女の号令に合わせて、ギャラリーも三々五々散ろうとする。鷹橋会長は何かを言いたげであったが、丹羽先生が準備室の外へ出て行こうとするのを見て、ぼくは後を追いかけることにした。
「先生、図書部のことで――ぶっ!」
 慌てて追いかけたが、先生が突然扉の前で止まる。そのせいで、勢いあまって先生の背中に衝突してしまった。何があったかと一旦後ろに下がると、丹羽先生の前で、鶯谷さんもまた、準備室を出てすぐのところで足を止めていたのだった。それで先生も出られなかったのか。
「…………なにかあったのか?」
 ギャラリーの一人が、出られないのに焦れて鶯谷さんへ声をかける。
「双子じゃなかった……」
 彼女の呟きが聞こえる。
「もう一人、いたんだ……」
「は?」
 ギャラリーがいらだった声を上げ、ぼくと丹羽先生を押しのけるようにして準備室を出る。そして――――。
「うおおっ!」
 図書室でおよそ上げてはいけない程度の声量の、驚く声が聞こえた。その声に反応して、準備室の面々はどたどたと外へ出た。残されたのはぼくと丹羽先生、そして仲人だけだった。
 ぼくと仲人はもう一度だけ顔を見合わせた。
 何が起こったのか、準備室を出ることなく把握できたからだ。
「おい、来てみろ仲人くん! お前たち、まさか――――」
 会長の声がして、ようやくぼくたちも動いた。
三つ子だったのか!?」
 準備室の外に出る。カウンターの向こうに、何冊かの文庫本を抱えた男子生徒の姿を認めた。鷹橋会長や鶯谷さんは、ぼくたちとその男子生徒とをしきりに見比べて目を見開いた。
 おそらく彼らには、目の前の男子生徒が仲人やぼくと瓜二つに見えたのだろう。
「いったいなんだよ。俺は本を返しに来ただけだぞ」
 ぼくのもう一人の兄弟であり、つまり仲人のもう一人の兄弟でもあるたけしは怪訝そうに呟いて、ぼくたちを見た。
「双子じゃなくて三つ子? そんなことあるの?」
 さすがに鶯谷さんも驚いたのか、頭をガシガシと引っ掻き回した。
 三つ子。
 そう、ぼくたちはどういう因果か一人の母親から同時に生まれたのだ。
 以来、ぼくたちは「同じ顔が三人いる」と評されながら生活してきた。小学校、中学校と同じ学校に通い、高校はいい加減に離れ離れになるかと思いきや、ひょんなめぐりあわせから結局同じになっている。
 だからぼくたちは、好奇の目線に晒されるという状況には、不本意ながら慣れている。生まれつき、ぼくたちは他人の目には物珍しく映るらしいので、いつの間にか慣れてしまった。
 さすがに、自分たちの教室にまでやじ馬が来るのは今回が初めてだったが。
「ははっ、なるほどなあ。三つ子なら話が早い!」
 会長は事態が明快になったことで、テンションをやや上げていた。
「一度も図書室を出ることなく三度入室しようとしたドッペルゲンガー。なんてことはない。同じ顔が三人いればそれで済む話なんだからな! しかし三つ子かあ。さすがに見るのは初めてだぞ。この高校にいたなんてな、聞いたこともない!」
 ………………聞いたこともない
 会長の言葉に、また引っかかった。
 それはつまり、謎の答えに両手を引っかけたということだ。
 ぼくの視線は宙をさまよい出す。いつもの、何かを考えようとしている時の感覚だ。視線はふらふらと鷹橋会長、仲人、鶯谷さん、猛と捉え、最後にカウンターに置かれた画鋲ケースに落ちた。
 ぼくたちが双子であるか三つ子であるか、そこは重要じゃない。図書室に三度入室するドッペルゲンガー。この謎を解く上で、ぼくたちが何人いても関係はない。
 だけど、その謎の答えまで、あと一手のところまで近づいたとして、そこに意味はあるのか。
 ふと視線を感じて振り返ると、準備室の扉の前で、丹羽先生が喧噪を悠然と眺めていた。



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