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「子どもに任せる」ことが、「子どもは自然」になり、意思をもった大人になる

乗馬をしてみたいと思い、乗馬クラブの体験に申し込んだ。普段は高額だが、セールで安かったから。
その後見たHPに「乗馬は馬と人が心通わせることが必要」と書いてあった。
私は一気に不安になった。動物が苦手だからだ。どうして申し込んでしまったのか。当日まで不安。何度キャンセルしようと思ったか。

当日は、インストラクターの方に、馬とのコミュニケーションが大事と言われ、ますます不安に。
馬と触れ合う時間、撫でることだけでも心に余裕がなくなってくる感じがした。それでも、体験だと自分を納得させ終了した。これ以後行ったことはない。


毎朝ウォーキングを日課にしている。犬を連れた方々に会う。
リードをつけて歩いているのだが、犬がしたいようにさせている方が多い。大事にしているなあ。

犬が歩けば一緒に歩くし、犬が止まれば人も止まる。においをかいだり、おしっこやうんちをする行為にもていねいに対応している。これが犬にとって一番いいと思っているのだろう。


子どもが歩き始め就学前ぐらいまでの時期。親が一緒に歩く姿を見ることがある。余裕があれば一人で歩かせることも。

すると子どもは必ず立ち止まったり寄り道したり。電柱を触ったり道端の花を摘んだり。縁石の上を歩きたがり塀を触ったり。

これが子どもの当たり前のはずなのだが、親はこれを許さない。声をかけ早く歩くように促す。危険だから手が汚れるからと禁止してしまうことがある。


日常生活でも、「早く!」が多いと聞く。朝昼晩の食事の時も、出かける時も、お風呂に入る時も、寝る時も、つい言ってしまうという。

親は子どもを思い通りにしたい、コントロールしたいと思ってしまう。
親が子どもの意思に関係なく主導してしまう。



「子どもは自然」

これは養老孟司氏の言葉だ。


社会は自然をコントロールしてきた。
それが発展と思ってきた。そうして便利になってきた。
自然の意思に関係なく、コントロールして利用するのが当たり前の世界に。

大人は子どもをコントロールしてきた。
そして社会は、人をコントロールするようになってきた。
子どもの意思に関係なく、しつけや教育といってコントロールして今の世界である。



自然はすべてのバランスを保ち、その世界を創っている。
それが地球の歴史による結果だ。それに敬意を払いたい。



「自然は正しい」
「自然はありのまま」

「子どもは自然」
「子どもは正しい」

だから「子どもに任せる」。


余計なことをしてはいけない。


これが生まれてすぐからできれば最高だ。

まさに「子どもは自然」になる。
子どもは意思をもった大人になる。





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