4月23日

唐突だけど、2ヶ月ぐらいサボった日記を再会しようと思う。

今日はいちごの葉摘みの日。いつもと同じ朝食だったのになぜか作業中に腹痛に襲われた。何とか我慢して一旦は落ち着いたが、仕事帰りに立ち寄ったスーパーのトイレでやはり下した(泣)なぜか分からないが生身の体だからこんな日もある。
そんな腹痛の我慢のさなかに、私の剪定バサミを置く音が一緒に作業をしていた先輩同僚の気に触ったらしく、もうちょっと静かにできませんか💢との、怒りを含んだ訴えにイヤな気分になった。私の雑さはその人には我慢ならない部分らしい。(別に叩きつけるように置いたわけではない)もちろん謝ったけど、気に触る行為をされた時のその人の状況がどうだったのか、私はいったん想像してから口を開こうと思った。もっとも苦情を訴えた先輩同僚のその時の状況を私もわかってないので、あくまで個人的な妄想に過ぎないのだけど(笑)

お腹の調子がいまいちなので、帰宅後は録り溜めしてたドラマを見て過ごした。
それにしても最近自分にとってあまり面白いドラマや映画に出会わない。もっとも、世の中が面白いものだらけだったら、コントラストがゼロになってしまうため、やっばり面白いものが分からなくなってしまうのだろうけど(笑)
そんな中でも、最近BS松竹東急で放映された松本清張の「砂の器」は印象的に残る作品だった。70年代の日本ではハンセン氏病はもっとも恐ろしい不治の感染病だったらしく、非情な差別を受ける親子の描写と、その辛い日々を回想しながら犯人が奏でる「宿命」という楽曲のピアノ演奏とが相まって、胸に迫るものがあった。昔は現代と違って情報量も少なかったから、より露骨な差別があったのたろう。(映画の最後にハンセン氏病に関する但し書きのテロップが流れたので)いや、よく考えると東日本大震災での福島原発事故後やコロナ禍でも似たような出来事があったように記憶している。
人はよく分からない物事を怖がる。皆んな自分が大事だから怖いものは避けるし排除しようとする。でも現代はちょっと検索すればたくさんの情報を得られる。それを精査する目を持つことも必要だけど、知って正しく恐れることって大事だと改めて思った。

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