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短編過去作「桃色のチューリップ」③

忙しい毎日を送っている間に季節は過ぎ、あっという間にライブ前日の金曜日がやってきた。私は、ウキウキとした気分で出勤し、今日のタスクを確認する。今日は、まず昨日終わらなかったバグ修正を午前中までに終わらせて、新しく任せられたテスト作業に取りかかり始めよう。午前中はいつもより頭がすっきりしていて、集中できた。12時のお昼休憩を知らせるメロディが鳴り始める。

 「おつかれ~」

いつもちょこちょこと歩いて私の席まできてくれる橋野ちゃん。今日は白いブラウスだ。耳元にはシンプルなパールのイヤリングが光っている。明日は待ちに待った念願のライブ参戦なのに、なんだかいつもより元気がないように見える。

 「おつかれ。お昼食べよっか。休憩室行こ。」

私と橋野ちゃんは休憩室までの道のりを歩きながら、明日のライブの予定を立て始める。会場までは日帰りで行ける距離だから、余裕を持って出発できる。せっかくの機会なのにライブだけなのも勿体ないなと思い、彼女に提案する。

 「ねえ、ライブ前にちょこっとカラオケしない?予習も兼ねて!ご飯も食べれるしさ」
 「お、いいね~、そうしよ!めっちゃ楽しい一日になりそう」

というわけで、お昼の時間のうちに私達の明日の予定は固まった。11時に会場の最寄り駅に集合し、一緒に駅近のカラオケに向かう。そこで歌ってご飯も食べて、夕方の開場時間に合わせて会場に向かうという流れだ。

 「あ、うちわとペンライト、忘れちゃダメだよ」
 「うん、もちろん!」

彼女はいつもと変わらない明るい口調で装っているが、なんだかちょっと疲れが見えている。

 「ね、なんかいつもよりテンション低いけど、大丈夫?」
 「あ~うん。大丈夫。ちょっと疲れが溜まってるのと、さっき先輩に結構ガチめに怒られちゃってさあ。私ったらダメダメすぎて」

 「そっか。でも橋野ちゃん。いつもなんだかんだ頑張ってるじゃん。この前さ、橋野ちゃんの部署の蒔田(まきた)さんと会う機会があったんだけど、聞いたよ?電車が大幅に遅れて、連絡一本入れれば良いところを、橋野ちゃんはプロ根性で無理矢理バスを乗り継いで、一人だけなんとか間に合わせたんだって?蒔田さん感心してたよ。その日は皆遅れてきたし、遅延で遅れるのは別に仕方ないことで当たり前なのにって。だから、橋野ちゃんの人と違うそういうところ、評価されてると思うよ。」

私はこの話を数日前に3年先輩の蒔田さんから聞いていた。いつもほわんとしているポンコツ橋野ちゃんが、そんなプロ根性まで持ち合わせてるなんて思わなかったからびっくりした。自転車通勤のため電車の遅延とは無縁の私だが、もし同じ状況に出くわしたら、正当な理由に安心しきって堂々と遅刻するだろうなと思う。

 「わ、その話聞いてたんだ~。まあ、当たり前だよ。その日は朝からお客さんの対応だってあったし。」
 「そう?でも、そうやって頑張る橋野ちゃんのこと、私は尊敬してるよ」

彼女は、まだ少し落ち込んだ顔をしている。斜め下に目線を落とす彼女の、そういう陰のある部分もまた魅力的だ。橋野ちゃんが暗いと、こちらまでちょっと暗い気持ちになってしまう。それでも、窓から見える雲間の秋の日差しが私達を少しだけ明るい気分にさせてくれた。

次の日、私はライブに参戦するための勝負服に散々悩みながら朝の時間を忙しなく過ごした。最近忙しくて掃除ができていなかったから、部屋が乱雑だ。こうやって休日にまとめて洗濯やら掃除やらもして、全然気が休まらない。でも今日は、待ちに待ったポリポーリマンズのライブである。

気分はいつにもなく高揚して、ようやく悩んだ末のモノクロコーデとメイクとヘアセットが完成し、満ち満ちた気分で玄関を出る。あいにくちょっと曇天だが、雨が降っていないだけましだ。あ、いけない。うちわとペンラ、忘れるところだった。私は慌てて引き返して、持ってないと確実に浮くライブ必須アイテムを大事にトートバッグに入れた。うちわは手作りで安く済むけど、公式のペンライトは安くない。こんなのなくたって、ただただ彼らの音楽を純粋に楽しみたいよと思いつつ、これがあってこそ演出が成り立つ瞬間もあるのだから仕方ない。とにかく今日は、かけたお金以上の分を全力で楽しむんだ。

イヤホンでポリポーリマンズの音楽を聴き、今日のセットリストを予想しながら電車に乗る。会場の最寄り駅に着くと、同じ色のトートバッグを提げた人達でごった返していた。ポリポーリマンズのライブに参戦する人達だ。昼の公演の人達か。にしても私も含め皆、これでもかというくらいめかし込んでいて笑ってしまう。私もその一員なんだな、とちょっとだけしみじみしていると、人混みのなかで一際ふわっとしたオーラを放つ彼女を見つけた。私は手を振って駆け寄る。

 「おっはよ!橋野ちゃん。」

彼女は推しのメンバーの色に合わせたのか、薄いピンク色で統一された可愛らしいふんわりとしたコーデだ。スカート姿も珍しい。やっぱり彼女にはこの色が良く似合っている。

 「おはよ~!ついにだね!じゃあ行こっか~」

昨日あれだけ落ち込んでた彼女の陰の部分は消えていた。いつもの、明るくてほわんとした橋野ちゃんの声を聞いて安心する。私達は、喜々とした軽い足取りで横に並んで歩き始めた。

 「じゃ、一曲目、宮田さん入れて良いよ~」

私達はカラオケボックスに腰を落ち着け、照明をライブ風に暗くし、ペンライトを手に持つ。

 「まあ最初は王道のあれだよね」

まずはポリポーリマンズのライブでは毎回セットリストに入るあの曲を入れて、彼女と一緒に歌う。彼女と一緒にお出かけをするのもカラオケをするのも、思えば初めてのことだ。彼女の声は朗らかで優しい。声が低い私は下のハモりを担当し、彼女が上のハモりを担当したりして、束の間の時間を楽しんだ。ポリポーリマンズ以外の曲も歌った。

もうすぐカラオケを出なきゃいけなくて、あと2,3曲かなという時、彼女はある女性アーティストの曲を入れた。CMか何かで聞いたことがある、割と最近の曲だ。ゆったりとしたメロディに彼女の美しい高音が乗せられる。サビで、響き渡る突き抜けた高音が私を貫く。彼女が歌い終わる頃、私はなぜか涙を流していた。無意識に心が掴まれていた。私は、今まで同性に感じたことがない感情をその時感じていた。恋に落ちるときめきのような、雷のような、何か。でも私は別に彼女に対して邪なことは考えたことはない。それはどこか、性的な魅力云々を超えている感じがする。私の目からは涙が流れ続け、さすがにやばいぞと思い、それとなくごまかした。

 「わ、なんかこの曲感動するね。歌詞良すぎてちょっと泣けてきちゃった」
 「え~泣いてるの?確かに良い曲だけど、そんな上手くなくてごめんね~」
 「いや、めっちゃ声合ってたよ」
私は自分の心の奥の動きが悟られないように、でも本気で感動したんだと伝わるように、気持ちを込めて言った。
 「ありがとう」
彼女はちょっと照れくさそうにしながら、当たり障りもなくお礼を言った。

 そんなことがあってから、私は彼女の何気ない瞬間にときめき続けた。特にその日はライブへの興奮と彼女への気持ちからくる心の高鳴りのせいで、私はふわふわとずっと浮いていた。なんだか、時に優しく時に激しい水圧の噴水の水に下から身体を持ち上げられて浮いてるみたいだった。

ライブは全力で楽しんだ。興奮する橋野ちゃんを横目に見ながら私は二重の幸せを体中で感じていた。私はポリポーリマンズの音楽が純粋に好きでファンになったけど、ライブともなると、キャーキャーとファンサを求めるファンが沢山いて、音楽どころではない感じがちょっと苦手。かくいう私も、なんだかんだ推しが目の前に来たら、音楽そっちのけで熱烈な視線とうちわを向けてアピールしていた。残念ながらファンサは貰えなかったけど、間近で推しを拝むことができてこの上ない喜びを感じた。

自分がアイドルにファンサを求めるような人間であることがなんか不思議な感じがして、後でちょっとだけ恥ずかしくなった。まあ、きっとアイドルのライブとはそういうものなのだろう。そんなこんなであっという間に私と橋野ちゃんの楽しい時間は終わりに近づき、会場を出たらもうしっかりと夜が深まっていた。かなり肌寒い。今日一日ずっと曇天で、星が見えないのが残念だ。

 「今日は楽しかったよ~ありがと!」
今日一番の彼女の笑顔に私の胸は高鳴る。
 「こちらこそ!一緒に来れてよかった!仕事では大変なこともあるけど、お互い頑張ろうね!なんか、今日の思い出を胸に、私これからもっと頑張れる気がする」
 「ほんと?ちょっとおおげさ~。でも私も本当に楽しかった、また一緒に遊ぼうね」

なんだかちょっとだけはぐらかされたみたいで、恥ずかしくなる。でも、とにかく良い一日が過ごせた満足感で一杯だ。私がここで、自分が感じている彼女への感情を暴露したら、どうなってしまうのだろう。彼女の戸惑う顔はあまり見たくない。関係が壊れたら嫌だ。それに、私だって一時の感情かもしれないのだから、とにかく今はこのまますんなりと帰路につくべきだ。

 「うん。じゃ、私電車の時間近いからこっちから帰るね~」
 「おー分かった。駅一緒だよね?なら駅まで一緒に行こ~」

嬉しい。素直に嬉しい。彼女と一緒の時間をギリギリまで堪能できるなんて。あれ、なんか私気持ち悪い女になってない?どうしよう、このまま本気で彼女のことを好きになってしまったら。もう、自分の感情は受け入れるしかないか。いやいや、これは友情の延長線上で、恋とは違う。

私は自分の心に戸惑いながら、寒空の元で彼女との温かい会話を最後まで楽しんだ。

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