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人生の分岐点になった日

もう、あと少しで、
今日は終わってしまうのですが、

私の人生を大きく変えた
3月11日のことを、

備忘録ではないのですが、
少し、書きたいと思います。

(ちなみにですが、当時も埼玉県在住です)

父が秋田県横手市出身で、
神奈川県に住んでいた
子供の頃から、

毎年のように、お盆に
横手に行っていたこともあり、
東北はとても身近な存在でした。

その後、仙台に引越し、
中学から高校と
多感な時期を過ごしたり、

そして、大学〜社会人と
東京で過ごすようになるも、

福島県に本社がある会社で
働くようになったり、

また、妻の親戚が
宮城県七ヶ浜町という
海岸がすぐの場所に住んでおり

毎年のように、
家族で遊びに行っていたことなど、

本当に、私の人生にとって
東北は、多くの思い出が
残る場所でした。

2011年の正月明け早々、
独立して創業したばかりの時に、
大きな病気をしてしまい、

そのリハビリ後、ようやく
活動できるようになった矢先の、
3月11日の大震災。

テレビのニュースから
流れる映像を見て、
呆然としていた記憶があります。

悲しみに暮れつつも、それでも
小さな子供たちを背負って
生きていかなければならないという
葛藤の中、必死に毎日を
過ごしていたような気がします。

今となっては、当時のことは
よく思い出せないのですが

ただ、その後、岩手県一関市の
「みちのくあじさい園」さんの
仕事のお手伝いをするようになったのは

人生の多くを過ごした東北のために、
何かできることはないかと
毎日のように考えていたからかもしれません。

一関市は、内陸にあるとはいえ、
建物に損傷があったり、
仕事が極端に減っていたりと、
震災の影響は色濃く残っておりました。

そんな中、日本一のあじさい園とも
言われている「みちのくあじさい園」で

あじさいを使って、雇用をつくり
産業化することによって、
地域を活性化させようという試みは、

以後の私のライフワークとなるほどに
のめりこむことになります。

その後10年近く続いた、
一関とのお仕事は、残念ながら
様々な理由で終了してしまったのですが、

それでも、この地で、あじさいの
素晴らしさと出会うことができたのは、

私の人生にとっての
とても大きな分岐点だったと思います。

まだまだ、道半ば。
現在も、あじさいの産業化には程遠く
お花の仕事を、こつこつと続けている状況です。

それでも、13年前の今日、
感じた思いを忘れぬよう、

そして、その後決意し、
自分のライフワークとなった夢に向かって

これからも、地に足をつけて
しっかりと、頑張っていきたいと思っております。




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