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酸いも甘いも未だ知らぬ

 卒業式が終わり、校庭には卒業生と、それを見送る在校生とがさまざまに別れの挨拶を交わしている。今朝、ぼくの隣の席の子は憧れの先輩の第二ボタンをもらいにいくと言っていた。ぼくには憧れの先輩なんていないし、そもそも親しい先輩なんて一人しかいなかった。先輩にさようならくらいは言っておこうと思い彼女の元にいくと、校舎裏の桜の樹の下に連れて行かれた。

 「今から目を瞑って。わたしからきみに特別な贈り物をあげる」
 先輩の突飛なお願いは今に始まったことじゃない。ぼくは「わかりました」と言って目を閉じる。
 「ふふ、じっとしていてね」
 楽しそうな先輩の声が近付くと、唇にぬるりと何かが滑った。マシュマロみたいな匂い。ぼくは今、リップクリームかなんかを塗られているのだろう。何故かはわからない。
 「まだ目を開けてはだめよ、ここからが本番だから」
 そう言うと、先輩はぼくの頬に優しく触れ、顎を少し持ち上げた。目を閉じていても先輩の温度が迫ってくるのがわかる。「先輩、」と声を出す前に先輩の柔いくちびるとぼくの唇の境界線がなくなった。目を開けて先輩の顔を見上げると、先輩はぼくの目を見つめながら、ゆっくりとくちびるを離す。先輩は、まだぼくの顔から手を離さない。
 「わたし、この口紅の匂いが好き」
 「……そうですか」
 「だから、ファーストキスはこの口紅の味にしたかったの」
 「……初めてのキスはレモン味が良かったです」
 「あら、ごめんなさい」
 特別な贈り物。初めてのファーストキスは青春らしい、甘酸っぱい味が良かった。なんて馬鹿みたいなことを考えていないと、気がおかしくなりそうだった。ぼくの初めてのキスはマシュマロみたいな香りのする、先輩の赤い口紅の味。
 顔から手が離れると、先輩は何事もなかったかのようにぼくとの距離を空ける。
 「それじゃあ、元気でね」
 「先輩も、お元気で」
 先輩は桜の樹の下にぼくを置いて歩いていく。強い風が吹いて目の前が桜の花びらに覆われた。風が止むと、先輩の姿はもう見えなかった。 

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