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がむしゃらだった自分へ

 努力すれば何とかなる。そんな、根拠もない自信に満ちていた10代。私は子供の頃から抱いていたパティシエになる、という夢だけを見ていた。

 なりたい職業があるなら誰でも第一に「どうやったらなれるか」を調べるだろう。私もまずは情報を集めることにした。専門学校へ行き実習と座学を受け、個人店・ホテル・メーカー等に就職するといった流れが一般的のようだった。(中には製菓を学べて資格も取れるという大学もあった)

 では、勤めてからはどのような仕事内容になるのだろう?と調べてみたところ、多く目についたのは『体力勝負の仕事』『離職率が高い』『好きじゃなきゃ続かない』というものだった。

 特に個人店では定休日が週一といった所が多いため、職員の休みも同様に週一日のみという場合がほとんどなようだった。(今では多少改善されている様子だけれど、個人店は最低限の人手で回しているから、定期的に休みを確保するのは難しいだろうなと思う)

 当時学生だった私はその情報に多少面食らったものの『夢のある仕事だし、気を強く持ってやればきっと大丈夫』と前向きに考えていた。今となっては何の根拠もないうえ、元々体力の無い自分がなぜあんなに自信に満ちていたのか、若さとはすごいなぁ…としみじみ思ってしまう。

 迷い無く進路は専門学校へと決まった。入学後は実習で様々な技術を学びつつ、複数人で洋菓子を作り上げるチームプレーの達成感がとても楽しかった。家でも生クリームの絞りや、溶かしたチョコでケーキ用プレートに文字を書く“パイピング”という技術の練習を特に繰り返した。

 専門学校時代はあっという間で、その後は家から通える範囲の個人洋菓子店に就職が決まった。ホテルやメーカーなどといった選択肢もあったが、子供の頃から抱いていた「パティシエ」のイメージは、街のケーキ屋さんでバースデーケーキをお客さんに手渡している姿だったからだ。

 就職してからはとにかく「怒涛」と表現するしか無いような日々だった。朝6時台には店について機械やオーブンの準備をし、その日に出すケーキの支度に取りかかる。季節によってケーキの種類は変わるので(冬はチョコレートなどの重めなもの、夏はフルーツやゼリーなどさっぱりしたもの、など)覚えたあたりでまたすぐ新たなケーキに切り替わってしまう。とにかく必死にメモを取って何種類ものケーキのデコレーションを覚えた。

 大変だけれど、ひとつひとつのケーキを組み立てて完成させていくという作業はとても達成感があり、楽しかった。カラメリゼという、砂糖をまぶし表面をバーナーで炙りカラメル状にする作業も、最初は仕上がりに若干の差があったものが均一に色がつくようになっていくと、目に見えた進歩に嬉しくなったりした。

 クリスマスでケーキ屋が一番忙しくなる時期などは、延々クリスマスケーキのデコレーションをしてお昼休憩にありつけたのが夕方の5時という事もあった。けれどその目が回るような忙しさによって職場に連帯感が生まれ、無事に12月の24、25、26日を乗り越えた終業後は従業員同士で「お疲れ様!」「乗り切ったね~!」などと労い合い、かつてない充足感に包まれた。

 クリスマスのひと山をこえたら、次は年末年始のお使いものとして焼き菓子が売れるためその仕込み。さらにその次はバレンタイン、ホワイトデー、それが終わったらひな祭り…等々、年間を通してイベント毎は終わらない。正直、入社して一年でやることが目まぐるしく変化していくため、各々の工程をちゃんと習得できているかな…?という不安はついて回った。

 そんな不安を抱えながらも、やっぱり洋菓子を作るのは楽しい、だからこそ続いていたんだと思う。けれど重労働のうえ休みが週一日しかないため、休日にリフレッシュするよりも身体を休めることに一日を使いきってしまう。就業時間は朝が早く夜は遅いため、仕事で不安なところや復習したいところがあれば休みの日にやるしかない。健診や車検等の雑事があればそれだけで貴重な休日が消えていく。仕事一色で心身共につねにギリギリの状態だった。当時は麻痺していてそれすらも自覚が薄かったけれど。

 そんなふうにがむしゃらに仕事に邁進していたが、ついに足腰に限界が来てしまった。ケーキを作る厨房内は排水がしやすいよう床がコンクリートになっていたり、業務用の10kgを超える小麦粉袋を運ぶ事がしょっちゅうあったり、デコレーションする際は前屈みになって一定時間集中する必要があったりだとか、様々な要因が重なっていた。

 心身共に疲弊し「これ以上は続けられない」そう実感してしまったときは涙が止まらなかった。これしか知らないのに、体力勝負のパティシエという仕事以外には他にどうしたら良いんだろう。途方に暮れて、若かった私は何もかもが終わったような気分だった。

 店長に事情を伝え、辞めてからは足腰に負担の少ないデスクワークに転職した。洋菓子に関連する職業だと、未練が沸いてしまいそうで怖かったのだ。

 あんなに毎日ケーキを作っていたのが嘘のように、それから2年程度は趣味でさえケーキを作ることが出来なかった。下手に家でお菓子作りをすると、パティシエを続けられなかった悔しさが出てきてしまって、洋菓子自体をも嫌いになってしまうんじゃないか。そんな恐怖があったからだ。

 転職してから休日や自分の時間が増えたため、考える時間も増えた。ふと、パティシエになるため色々調べていた学生時代の自分を思い出す。離職率が高い理由はこういうことだったのだな、と実感した。そして『好きじゃなきゃ続かない仕事』という一文。

 当時の私はそれに対して、ならば「好き」という気持ちさえ持っていれば続けられるのだろう、と思っていた。

 けれど今となっては、それはあくまで「最低条件」だったのだな。と思う。

『好きであったとしても続くかは分からない、だから好きじゃなかったら絶対続かない』そんな職業だなということ。

 あの頃の夢を追っていた自分を思うと、眩しくて目を細めたくなるような気分になる。けれどやっぱり、当時の日々を今も続けていられたか?と問うと、答えは「いいえ」なのだ。

 今の私は趣味でお菓子を作ることも、純粋にそれを楽しむことも出来る。技術は落ちてしまったかもしれないが、仕事という重圧がないぶん自由に気負い無く作れるのが嬉しい。

 そして昔は考えなかった『自分の心身のキャパに合わせた生活』を重視するようになった。

 一度ひとつの夢が破れた時は、視野がどんどん狭くなって絶望しか感じなかった。けれど、日々を過ごし這い上がっていくうちに、私にもまた新たな夢が出来た。その夢は体力の無い私でも追えるような物で、芽吹くかは分からないけれど、ゆっくりゆっくり育てていきたいなと思っている。

 ひとつの挫折を経験したことで、私は『何かがダメになっても、また新たな何かに出会うことは出来るよ』という、長い目で人生を見て、そしてその道程を楽しむことを覚えた。

 あの頃のまっすぐひたむきに突き進む自分も好きだったけれど、ゆったりと落ち着いて歩く今の自分も、中々に悪くないなと思うのだ。

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