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祖父が背中を押してくれる
宮城出身の祖父は、故郷が大好きでいつも宮城の話をしていた。
あの日はきっと、涙を流しながら空の上から故郷を見ていたと思う。
祖父は私のことを目に入れても痛くないという言葉がぴったりなほど可愛がってくれて、いつもそばで子どもの遊びに付き合ってくれた。
昔は厳格な父親だったのに孫が生まれたら急に優しいおじいちゃんになったらしい。
幼い頃の写真には祖父とのツーショットがたくさん残っていて、どれも本当に柔らかな笑顔で写っているので信じられないけれど。
祖父が天国に旅立ったのは私が学生のときだった。
認知症が進んできて私のことを孫だと認識できない日も増えていったある日、入院先にお見舞いに行った時、制服姿の私に向かって「勉強、がんばれよ。」と応援の言葉をくれた。
当時私は受験勉強の真っ最中で、成績が伸び悩んでいたので、この言葉は本当に嬉しかったのを覚えている。
それからまもなく祖父とはお別れすることになった。
その後、無事に志望校に合格して時は流れて私は社会人になったけれど、今でもふとした時に思い出す「勉強、がんばれよ。」は、私を支えてくれている。
その時は純粋に学校の勉強を頑張ることだと思っていたし、祖父もきっとそういう意味で掛けてくれた言葉だと思うけれど、
いろんな経験をして大人になるほど、勉強って学校ですることより社会に出てからすることの方が多いなあ、と感じるようになった。
知らなかったことを知るのも、辛い経験や悔しい思いをするのも、嬉しい思い出も、すべて人生の勉強だ。
なにか壁にぶつかる度に、この言葉は私の背中を押してくれている。
目を背けたくなる数々の震災について知ることも、防災の知識を身につけて備えることも、人生において大切な勉強のひとつだと思う。
どうか、祖父にとっても、私にとっても大切な東北の地で、そこに暮らす方々が心穏やかに過ごせますように。
そのために私にできることがひとつでもあるのなら、生涯かけて勉強していきたいと考えている。