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あわれみのゴールテープ【ショートショート】【#140】

「そりゃ、まともにやってたらあんなヤツが勝てるわけがないだろ」

 男はかなり酔っぱらっているようだった。色白な顔はもうかなり赤くそまっている。ヒジをついた左手に白いおちょこが握られており、ゆらゆらとゆれるたびに、残った日本酒がこぼれそうになっていた。

「じゃあれは出来レースだってのかい?」

「だから、そうだって言ってんだろ」

 話題になっているのは、先日行われたマラソンレースだ。テレビでも大きく取り上げられていたため、世間での知名度もかなりのものだ。マラソンレースとはいえ、参加者は2人だけ。明らかに勝つと思われていた方と、明らかに負けると思われていた方だ。
 だが、実際には負けると思われていた方が勝利を手にした。あまりにも余裕がありすぎたせいで、調子にのってしまったことが敗因だったらしい。

 もともと弱いものが強いものをくじく、いわゆる「下克上もの」は、いつの時代も人気がある。その上、男は、絶望的な状況にあきらめることなく挑み続け、無理だと言われた勝利を手にした。相手は、その能力にあぐらをかき、油断した末に負けてしまった。その構造に教訓的なものがあるとして持てはやされた。

 結果、マスコミに大々的に取りあげられ、男は、一夜にしてお茶の間のヒーローになったのだ。

「だいたいお前知ってるのか? アイツの速さ……いや遅さというべきかな。時速にして0.5キロだ。相手は時速60キロは出る。1時間で走る距離に120時間かかるんだぜ! いっくら昼寝していたところでなんとかなる距離じゃねぇんだよ。急な冬眠かよホント。もうちょっとまともな話作ってほしいもんだよ」

「おいウソだろ……じゃあどうやって勝ったんだよ?」

「知らねぇよ。まあでも大方、どっか見えない茂みにでも連れこんで、足の速いやつに運んでもらったとかだろ」

 それまでレースの結果を素直に信じ、大逆転に盛り上がっていたのに、いきなり冷や水を浴びせられたようだった。その場はシンと静まり返ってしまった。

「いやでもそんなことする必要あんのかよ……。別に、レースには賞金とかかかってたわけじゃねぇだろ」

「お前、なに見てたんだよ。あいつはあのレースに勝ったことによって、一夜にしてヒーローになったんだぜ? あれ以来、テレビで見ない日あったか? 今ごろCMの1本や2本決まってるだろうし、その効果は計り知れねぇ。賞金があろうがなかろうが関係ねぇよ」

「そうは言っても出来レースなんて……。そんな悪いヤツには見えなかったけどな」

 後ろの方からそんなつぶやきが聞こえる。男はかけられた声の主をちらりとながめ、続けた。

「あいつは別に悪いヤツじゃねぇよ。ただ、損得勘定がうまいだけさ。あいつが勝つことによって、話題になる。それが金になる。だからあいつは金をもらってヒーローの役を買って出ただけの話さ。もちろん相手だって、いくばくかの金はもらってるはずさ。win-winだよwin-win。世の中そうやって回ってるんだよ」

 おちょこに残っていた酒を一気にあおり、男はいった。

「あいつがゴールテープを切った瞬間に、あいつの人生は新たなステージに突入したんだよ。すり切れるまで使いつぶされて、ダメになったら捨てられるだけなのは確かだろうけどな。一夜の栄華にひたれるのもまた確かさ。まぁ――、俺に言わせればなんとも哀れなゴールだと思うがね」

 もはや反論するものはこの場にはいなかった。男はとっくりに酒が残っていないことを確認し、「勘定たのむ」と店員に声をかけ、席をたった。

「……おい、あんた。あんたは、なにもんなんだい? なんでそんな話を知ってるんだ?」

「――あ? 俺か? 俺は、まぁ……しがない同業者ってところよ。俺も似たようなことで食っててな。明日はイナバの方で体をはった汚れ仕事さ……」



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