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ご円がなかったということで【ショートショート】【#109】

 大学の冬休みも終わったころ。私の春からの就職先はもう決まっていた。あまり大きくないけれど、世界があっと驚くような革新的な取引をしてやろう、という気概にあふれたグローバルな商社だ。就職活動を始めた当初から入りたかった念願の会社だった。

 しかしその日、私の元に届いた書面には「内定取り消し通知」と書かれていた。

「どういうことなんですか!」

 電話口の相手は会社の人事担当の男性だ。面接や、その後の内定式などで何度も顔を合わせた人である。問いただす声は、はからずも大きくなってしまった。

「まことに申し訳ないのだがね……今回の採用は見送らせてもらう、ということなんだ。そう決まったんだよ」

 人事は本当に申し訳ないと思っているようで、出てくる言葉は歯切れが悪く、絞り出すようにそう言った。

「納得できません! 私だけですか? 内定式にいた同期は?」

「今年の内定者は全員見送るということになっている。君だけじゃないんだ。――というよりも、実は会社の存続すら危ういんだ」

 飛び出てきた人事の悲痛そうな言葉に、私の勢いはそがれてしまう。

「その……訳を、理由を聞いてもいいですか?」

「まあ君たちには迷惑をかけたから、正直に言うよ。……実はね、『円』がなかったんだよ」

 人事の言葉がよく理解できず1、2秒間が空いてしまった。

「……え? え~とその『縁』がなかった、ですか? あの……結局そんな決まり文句みたいな回答しか教えてくれないんですか? 最初からそういうヒドイ会社だったってことなんですか?」

 話しているうちにふつふつと怒りが沸き上がってきて、嫌味ったらしい言葉になってしまった。

「いやいや違うよ。良縁とかの『縁』じゃなくて、日本円の『円』だよ」

「……円?」

「そうなんだ。つい先週末の話なんだがね……、発注書に書いた数字にね、『円』がなかったんだよ」

「はあ」

「それで、向こうの通貨だと勘違いされてしまってね。そのまま多量の商品も送られてくるし、支払いも膨大な額さ。うちにはどうあがいてもそんなお金はない。期限まではもう少しあるとはいえ、今更契約解除もできないし八方ふさがりってわけさ。大企業であれば、こういう時になんとかなる体力があるんだろうけど、うちみたいな中小にはどこを叩いてもそんな余力はないし……まぁあれだよ、つまり――うちはもうダメかもしれないってことさ」

 電話の向こう側からは、どうにもならない状況に笑うしかない、という様相が伝わってきた。私はそれ以上強く聞くこともできず、「わかりました」とつげ電話を切った。

 長い人生、いろんなことがある。私だって不運だけれど、会社の人はもっと不運なのだ。発端は単純ミスでも、きっとその人だけが悪いわけじゃない。そういうこともある……そういうこともある。何度も自分に言い聞かせ、納得しようとした。そんな理性に反し、私のふたつの瞳からは涙がこぼれおち、止まらなかった。

 目の前にはさっき広げたままの内定取り消し通知が置かれている。タイトルを見て、慌てて電話をかけたせいで、まともに目を通してもいない。どうせ、紋切り型の定型文が並んでいるだけだろう……そう思って、最後まで読んでいったとき、その中の一文に私は思わず目を見張った。

今回は、ご円がなかったということで……

 流石に誤字に過ぎないのだろう。最初はそう思った。……そう思ったけれど、この一文が、私の中の導火線にじわじわと火をつける。腹の底にたまっていた怒りという感情に、大きく、静かなうねりがおこり、少しづつ上に上にこみあげてくるのがわかった。よりにもよって、そこを間違えるだろうか。

 動き出した感情はもうとめられない。私は決めた。泣き寝入りはしない。円の切れ目が、縁の始まりだ。この湧き上がる怒りを原動力に、私は徹底的に戦ってやるのだ。私にもそれなりの「円」を用意してもらおうじゃないか。



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