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『北川悦吏子』という原点に立ち返る日

唐突に北川悦吏子さんのエッセイが読みたくなった。

北川悦吏子さんを神のようにあがめている方も沢山いるだろう。「半分青い」の盛況ぶりもまだついこの前のこと。昔に比べればだいぶ露出や影響力は減ったとはいえ、まだまだ著名現役脚本家の一人だ。

書いていて思ったけれど、またも「若い子は知らない」というオチなのだろうかこれ(笑 北川悦吏子という『恋愛の神様』と称された、最強の脚本家が居てね……いや今もいるけど。

かくいう私はと言えば、残念ながら『神様』というほどの崇拝はしていない(笑

というのも、昔はそれほど真面目にドラマを見ていなかったからで、数ある北川ドラマのうちで、全部ちゃんと見たのは下手したら2,3本しかないのではないだろうか。
最近は各種サイトで後からの視聴も簡単だけれど、一昔前はいちいちビデオを借りに行ったり、いろいろめんどくさかったですからね。

それでも、学生のころに読んだ『エッセイ』の中で明確に好きだった作品のひとつが、この北川悦吏子さんのエッセイだ。

2,3冊読んだ気がするのでどれだったか忘れていて、このたびブックオフに行ったらいくつか並んでいたので、大人買いをしてきた。うーん大人ってすばらしい。

3冊で324円なり。スケールの小さい大人だこと。

そして、まだ1冊目の半分くらいしか読んでいないけれど、やっぱり好きだった。

エッセイだから内容はもちろん日常についてつづられているわけで、内容はあの時代の俳優さんや文化の話が出てきて懐かしさはあるけれど、それ以上ではない。じゃあ何が好きなのかというと、その文章のテンションが好きだったのだ。

そして私は気がついてしまった。似てるのだ。
今の私の書く「明るくてちょっと楽しげ」なテンションと似ている。

天下の北川悦吏子と似ているなんておこがましいのだけれど、10数年ぶりに読んだ感想はホントにそう思ったのだ、「似ている」と。

私の場合、好きなものって、年とともにどんどん増えている。

もちろんどれもこれも同じだけの時間や熱量を注ぐわけにはいかないから、その時好きなものに注力する形にはなるんだけれど、ひとつ好きになったらひとつ嫌いになる、ということはなく、好きなものが増える一方だ。

結果、自分の「好き」ってなんなんだっけ?

となることも結構ある。そんなときに、原点に立ち返ってみると、結局ここなんだな、と納得することがある。今回がまさにそれだ。

読むまでは正直『楽しかった』という片隅の記憶以外は、まったく忘れていた。でも、そんな記憶のかけらでもしぶとく残っているということは、やはり相当の痕跡を残してきたのだろう。

そして、結局そこが自分の『核』だったりするのだ。

頭の片隅にずっと残っているちょっとした『好き』。

それを大事にして、何かの拍子に思い出したときには無理やりでも引っ張り出して、それに触れてみる。意外とそれこそが一番大事な何か、だったりするのだ。私にとっての北川悦吏子さんのように。

定期的に自分の『核』に立ち戻ると、その後培ってきたものが俯瞰的に見えてくるし、自分の行きたい方向も見えてくる。

たまにはそういう機会も大事にしないといけないな。と思いながら、また北川節を堪能する日なのでした。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)