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褒められたら謙遜するな

これは私がここ最近常々念じていることだ。
褒められたら謙遜しない。シンブルな命題だけれどなかなか難しい。

いい加減なものを作っているつもりはない。内容に納得し、面白いと思うから世に送り出そうと奮闘する。形になったら、なるべく見栄えのするように整えてあげて、最後は「がんばれよ」って背中を押す気持ちで、『公開』ボタンを押す。それこそ「褒めてくれ!」そんな気持ちもある。大っぴらに言わなくても少しはある。

それにもかかわらず、いざ褒められた時にはこんなセリフが口をつく。

「いえいえ、そんな大層なものじゃありませんから……」

良くない。これは非常に良くない。
いろいろ良くないので、良くないポイントを挙げてみよう。

ひとつは、自分の『作品』に対して失礼である。

自分が手塩にかけた作品には、多大な気持ちも時間も労力もかかっている。それは自分が一番知っているはずだ。100のうちの100でないとしても、出来に納得した部分があるから世の中に送り出したはずだ。
褒められた際に、それを否定してしまえば、自分の作品を否定するのと同じだ。

ふたつ。評価してくれた『人』に対して失礼だ。

作品をいいと思い、賞賛の言葉を贈る。これも簡単そうでなかなかできないことだ。そんな得難い行動をとっていただけたにもかかわらず、それを頭から否定してしまうのは、賞賛してもらった人に対して失礼だ。人の作品で例えてみればすぐわかる。

「この作品すっごくいいよね!」
「いやそんなことない、たいして良くないよ。これはあれがダメで、ここがダメで~……」
「……もういい」

ってなるでしょう。自分の作品でも同じことです。

みっつ。もらった『評価』に対しても失礼。

これは言葉遊びみたいなものだけれど、「評価を評価している」ことも結構ある。

あの人から言われたら嬉しいけど、この人から言われてもそれほど嬉しくない。この人は、いいことばかり言うから評価もあてにならない……

等々。評価を自分で勝手に推し量って、その「評価の評価を下げる」という現象は、結構あるのではないだろうか。
絶対評価だとすれば、評価の評価はありえる。だが創作に対する評価は、相対評価しかない。偉い人たちが「この絵は高い」と言ったら絵の値段は高くなる(曲解 

つまり私たちにできるのは、評価があった事実だけを粛々と受け入れることだけだ。そこに勝手に色を付けてはいけないのだ。

もちろん技術的な部分などに対する評価の分析はするべきで、あくまでも意味がないのは、「良い」か「悪い」かという感覚的な部分の話になる。そして「調子に乗れ」ということでもない。ただ受け入れる。それが大事だ。

まとめていうと、『褒められたら謙遜するな』ということでタイトルを回収して、今日はきれいに終われそうだ(笑

まあ、自分が一番できていないからこそ、こんなことを書いているのだけれど。それ以前に、もっと褒められるようなものを書けるようにならないといけないけれど(笑



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)