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さいごまで非常識なヤツだった【ショートショート】【#115】

「まぁ待てよ。そもそもあんたの思う"常識"ってなんだよ?」

 そいつは悪びれる様子もなく、俺に問いかけてきた。こちとら急いでいるんだ。正直、こんなところで問答している時間などない。

「そりゃあ枝葉は色々あるかもしれないけど、基本は四角くて……白くて……がっしりしてて……、少なくともこんな慌ただしいときに問答をしたりはしないだろ、――常識ならな!」

 そいつは馬鹿にしたように、うすく笑ったような気がしたが、顔がないからわからない。

「お前さ、そういう"常識"ってさ――結局、お前の狭~い世界でつちかってきただけの偏ったものだろ? 井戸の中のカエルにすぎないって思ったことないか? 広い世界に目を向ければ、お前の持ってる"常識"なんて、線香花火よりもはかないものなんだよ」

「はあ? あーえっと……いや……もういいよ、だからさ! そういう禅問答みたいなやつは時間のあるときにやるもんだろ! 今は大変な状態なわけ! 幸いこのフロアには俺しかいないみたいだけど、おちおちしてたら命も危ないわけ! 後でいくらでも考えるから今は黙って通してくれよ!」

「それはダメだ」

「なんで!」

「もしこの機会を逃したら、もう二度とお前から答えを聞くことができないかもしれないからな。――つまり、命をかけているのは俺も同じってことさ……」

 この期におよんで、やたらと気取った態度が鼻につく。怒りのボルテージはどんどん上昇してき、いっそこの火事にまかれてしまえばいいのに……とも思うが、それはとにかくここを通った後の話だ。

「いい加減にしろよ! そもそもお前、口はないはずだろ! さっきからペラペラしゃべりやがって! ないはずのものが聞こえてるんだから、足の1つや2つどっかに生えてくんじゃねーの! それで歩けよ。今さら常識もへったくれもねーよ!」

 そいつはその言葉に何かを気がつかされたようで、はっと息をのむ。そして、照れて赤くなりながら答えた。――いや、違う。火がせまっているのだ。

「なるほど確かに……。常識にとらわれていたのは俺の方かもしれんな。すまなかった。――でも、最後にでも、お前とこうして話すことができてうれしかったぜ……」

「どうでもいいからここを開けてくれーー!!!」

 幸いにも俺は、そのあと窓から飛び込んできた救助隊によって救いだされた。その非常識な『非常口』は、さすがに足は生えなかったようだけれど、最後まで開くことはなかったようだ。たしかに非常時に正常に機能してしまったら、普通の……常識的な非常口だ。あいつは死ぬ間際でも非常識な信念をつらぬきとおしたのだ。

 あいつは最後まで立派に非常識な非常口だったのだ。



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