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水割りの話をしよう【エッセイ】

――水割りの話をしよう。

「水割り」とは読んで字のごとく、水で割った飲み物のことだ。ウィキペディアによると、『お酒を水で割ったもの』を指す、と書いてあるけれど、今日は広義の水割り……つまりお酒以外の話をするつもりである。

端的に言うと、

『紅茶の水割り』はおいしくないけれど、『コーヒーの水割り』はおいしい。


これが私が最近つちかったライフハックなのだけど、どなたか共感していただける人はいませんでしょうか。

そもそも「紅茶の水割り」とか「コーヒーの水割り」ってなんやねん。

まあそう思われる人がほとんどだと思う。それこそ読んで字のごとくだ。一度コーヒーなり、紅茶なりを作る。しゃれたポットで2杯半……とかそういうよこしまなことを考えてはいけない。まずは紅茶ならティーパックで、コーヒーなら粉で、カップに1杯分だけ作ってほしい。

特に今みたいに寒くなってきた時期は、最初はお湯を注いで、熱々に仕上げたとしても、時間の経過とともに冷めてきてしまう。私は飲み物はゆっくり飲むタチなので余計だ。冷めても飲めるのだから、まずいわけではないけれど、せっかくなら暖かい状態で飲みたい。

……電子レンジなどで温めなおせば良いではないか。

そう言ってしまうと、今日の話は終わってしまうので我慢して付き合っていただきたい。温めなおす代わりに、今飲んでいたコーヒーなり紅茶なりに、お湯を注ぐのだ。

これでコーヒー、もしくは紅茶の水割りの完成だ。

このメソッドを応用していくと、

最初にコーヒーを作る→お湯を注ぐ→コーヒーの水割り(第1形態)完成→飲む→減ってきた段階でまたお湯を注ぐ→コーヒーの水割り(第2形態)→飲む→減ってきた段階で……

と無限に増産することができる。エコだ。

紅茶の場合、一度じゃもったいないから……と2回くらいはティーパックを使うこともあると思う。出がらしでいいから……というあれだ。もちろんそれも否定しないが、私の美学的に出がらしは水割りとは言いがたい。あれは完全に紅茶だ。そのため今回は除外する。

こうして無限水割りを繰り返していくと、対象は無限に水に近づいていく。最終的にはほぼ色付きの水だ。

ここまで読んで、そんな貧乏くさいことは絶対やりたいくない……とお思いの育ちのいい皆様はちょっと考えてみてほしい。麦茶とか緑茶だって、ほぼ色付きの水だ。なんとなく見た目の濃度が違うだけだ。

ちなみに今日は触れないけれど、「緑茶の水割り」というのも悪くない。

とにかく、そうやって水に近づいていくんだから、どれも問題なさそうなのに、なぜか紅茶の水割りはあんまりおいしくない。単に趣味の問題なのかもしれない。

逆にコーヒーの水割りはやればやるほど普通の「お茶」に近づいて何重にもおいしい。

不思議だ……と思いながらも、今日もコーヒーの水割りを片手にこの文章を書いている。特にオチはないので、こちらの曲でお茶を濁そうと思う……いや、コーヒーを濁す……が正解だろうか?



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)