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絨毯の大きなシミ【ショートショート】【#48】

「もう二度としないって言ったじゃないか……」

 彼は泣き崩れた。そんな彼を見つめる私だってもう涙でボロボロだった。

 彼と2人で「もうやらない」と決めたあの日。あの日の誓いに何の嘘もない。心からそう願って、そのために努力しようとお互いに鼓舞しあってきた。あの日からわずかに数カ月。今日の今日までの期間、彼と一緒に培ってきた、その努力と熱意。そして彼の信頼さえも一瞬にして私は捨て去ってしまったのだ。

「本当にごめんなさい。でも……なにも覚えてないの」

「じゃあこれはなんなんだ! 君以外の誰がやったっていうんだ!」

「……」

 確たる証拠を突きつけられ、反論する言葉などあろうはずがない。止まらぬ涙は絨毯にこぼれ落ち、大きなシミを作っていた。
 もともと無理な願いだったのだ。私のような女が幸せになろうなんて。何をやってもうまくいくわけがない、そもそも自己肯定感がないことが売りのような女なのだ。
 しかしいかに自分をおとしめたところで、そこになんの意味もない。なぜなら彼はそんな自堕落な私のそのままを受け入れ、信頼してくれたのだから。

「そんな君でもいい、一緒に歩んでいこう」

 そういって差し出された手を取ったとき、私の人生が変わったと思った。それは地獄に落とされたひとすじの蜘蛛の糸のように。後光がさす彼の姿。彼についていけばきっと私は幸せになれる。そのために……信じてくれた彼のために、私は持てるすべての力を尽くし期待に応えていこう。

 そう心に固く誓いを立て、その手を強く握り返した。
 ――強く握り返した、はずだったのだ。

「もういいの。私には無理だったのよ。……正直ここまでよく持ったほうだと思う。あなたがいてくれたからだって、そう思う。でも、もうこれ以上は付いていけないの」

「馬鹿な事言うなよ!」

 彼は涙でぐしゃぐしゃになりながら、私の左頬を平手で叩いた。痛みというよりも、その衝撃と、大きな音に私は驚く。そして彼は続けた。

「僕は知ってる! 知ってるんだ、君がこれまでにどれだけ頑張ってきたのかを。だから、だからこそ言えるんだ。君はできる、できるんだ! 一度や二度失敗することなんて誰だってある。でも幸せになれる人はそこであきらめなかった人なんだ。あきらめなければ絶対に幸せになれるんだよ!」

 彼はその広く大きな胸筋と、立派な上腕二頭筋・三頭筋および前腕筋群で私を包み込んだ。

「僕を信じてくれ。またゼロから始めればいいんだよ。何度だってやりなおせるさ。わかったかい?」

「はい……コーチ。私、頑張ります」

 はらり、と夜中に食べてしまったポテトチップスの袋が床に落ちた。
 彼女のダイエット戦線はまだまだ続いてゆく。



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