見出し画像

読みたいのは、『何故』それが好きなのか。

「いい記事」には色んな形式があるけれど、「好きなものの事を書く」という形式は、「誰もが書ける」という大きな利点がある。

しかし、これが結構難しい作業で一筋縄にはいかない、と私は常々思っている。なぜなら、そのモノを好きな『理由』を書くことは大変難しいからだ。

その記事自体が、どれだけの人の目にとまるかどうかは、その人を取り巻く状況にもよってくるだろうけれど、その人が「楽しい!」と感じたことをつづった記事は、必ずどこかしらに需要のある記事だ、と私は思っている。

みんな楽しい体験は共有したいし、自分も味わいたいもの。

実際に「こう感じて、ここが楽しかった!」って熱く書いている人の記事は、見ているこちらまで楽しくなってくるものです。
そういうものを書いている人は、いつのまにかフォローワーも増えてきて、「あの人も、いつのまにか人気者に……(驚!」なんて感じになっていたり。

しかしこれが、いざ書く側に回ってみると、上にも書いたように「好き」や「楽しい」の『理由』を伝えるのは、結構難しいことなんですよね。

なぜなら、『自分には説明する必要がない』からです。

「これ凄く好き!」と思った時に、それを自分に対して説明する必要はないでしょう。「好きなものは好き」。それで終わり。
自分に対しては、それで十分なんですよね。せいぜい「好き」「凄く好き」「ありえないくらい好き」「尊い」くらいの、表現があれば事足りてしまう。

ところがこれを誰かに伝えようと思ったらそうはいかない。

自分がどこに「好き」を感じたのかを分析しなければいけない。そして、それが自分の経験に基づくものであるなら、そこから説明を始めなければいけないし、読んだ人に伝わる表現をしなければいけない。

だいたい人間、「……好き!!」って思っている時なんて、IQ10くらいまで下がっている時が多いので、余計なことを考えている余裕などないわけです。仕方がないので、後から自分の中でその「……好き!!」を再構築して、分析し直すしかなかったりするわけです。

「伝われ!この気持ち!」と、どれほど願っても、文章だけの世界では表現しないことは、まったく伝わらないのです。……ぽいずん(←我慢してたけど言っちゃった

結果として、その『理由』が抜け落ちてしまっているものを、たまに見かけるような気がします。

事実の羅列が書いてあって、『楽しかったです!おわり』

といった感じでしょうか。もちろん、雰囲気から読み手に気持ち推測してもらうのも、手法の一つだとは思いますが、それには大抵高い技術を要するものかと思います。
楽しそうな事を書いているのに、どうも伝わってこない……という場合は大抵、この『理由』が抜け落ちているせいではないでしょうか。

自分の『好き』とか『楽しい』って気持ちが、ちゃんと現れてるものは、読んでいても絶対楽しいですから、私ももっと自分と向き合って『伝わる好き』を日々noteに書いていきたいものです。


#エッセイ #コラム #note #好き #楽しい #書き方

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)