ケータイの方が『頭の中』に近い
確か、カエデさんが少し前にそんなことを言っていた気がする。
それで、私は「そうかもしれないなぁ」くらいのゆるい肯定だったのだけれど、ここに来て強い肯定派に移ろうかと思う。
『ケータイの方が頭の中に近い』
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つまりパソコンで書くよりも思ったこと、感じたことが出てきやすい。そんな気がしている。
今、あるDVDの感想を書いていて、週末にはあげたいと思っているところなのだけど、これがわりと難産なのだ。
私にしては珍しく、あらかじめ軽く構成を決めて書き出したけれど、落としどころというか、書きたい主題のユルさを感じてしまって筆がなかなか進まない。
基本は自分語りなので、思ったこと書けば良いとは思いつつも、格好をつけてしまっているのか、語彙が貧困なせいなのか、まぁ理由はいくらでも存在するだろう。
……どうしたものか。
と悩んだ時に、外で時間があったのでケータイでパチポチ進めてみたわけだ。今時のケータイはパチポチ言わないけれど、電話を取った時のジェスチャーで「親指と小指を伸ばした仕草」をするのと同じ、昭和の成れの果てだと思って欲しい。
量は書けない。
それに俯瞰もしづらい。
治したり、貼ったり。作業には不向き。
色々悪い点はあるけれど、良いと思ったことが一つ。それが『頭の中に近い気がした』という点だ。つまり感じたこと、思ったことが、スルッと出てくるのだ。いや「ツルッ」とすべって出てくるような感覚に近い。
普段から、何気なく思ったモノを吐き出す媒体はやはりケータイが主だから。ということなのだろうか。
構えて「文章を書くぜ!」というのはもちろんパソコンの方がやりやすい。
でも人生でケータイというモノを触るようになってから、すでに20年近いわけで。ふと思ったことを、その場その場で吐き出してきたのは、やはりケータイなのだ。Twitterが出来てからは、そんな側面がかなり強くなった。
結果として、頭の浅い部分で考えたこと、浮かんできたことを拾う道具としては、ケータイの方が圧倒的に慣れ親しんでおり、親指を滑らす動作と、気持ちを吐き出すことが密に繋がっているのではないだろうか。
そんな考察をした。
*
だからといって、創作するにあたってパソコン優位は変わらないけれど。
ピンポイントで自分の思いを表したいとき。書きたいことに悩んだとき。そんな時は、ケータイから書き込んでみると違った景色が見えるかもしれません。
このnoteは一応大体ケータイで書きました。でも自信がないので後でパソコンで見てからあげるつもりです(笑
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