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聖なるガチャの祈り

我が家では朝、起きてくる順番が決まっている。

早く起きるのは私か上の子だ。これは夏だろうが冬だろうが関係ない。下の子と妻はギリギリの時間まで起きてくることはなく、先に起きるのが私か上の子かはその日によるけれど、「どちらかが先に起きる」という状態は年中変わりがない。
私に関して言えば、なるべく朝に書きものをしようと思っているから早く起きているのだけれど、上の子に関しては誰が強要したわけでもないのにムクリと置きだして勝手に遊びだす。

そんな彼が朝一番にすること。
それがガチャに祈りをささげることである。

多分、やっているのは『にゃんこ大戦争』というゲーム。

どういう仕組みなのか詳しくはわからないけれど、抽選でキャラクターをもらえる『ガチャ』をだいたい毎日、朝にやっているようだ。1回挑戦すると10回抽選を引けるようで、SSレアとかそういう希少性の高いキャラクターが出るかどうかは運しだい、という作りらしい。

私はパソコンに向かっているので直接的に見ているわけではない。しかし始まればすぐにわかる。なぜなら毎日のように『祈祷』がはじまるからだ。

「お願いします! お願いします!」

そう言ってタブレットに向けて五体投地する。それままるでイスラム教の人がカアバ神殿に向かって祈るかのように純粋で心からの祈りだ。結果的に出たものが本当に使えるキャラなのかどうかは関係がない。とにかくレアが引けること。それだけを願って彼は五体投地をくりかえす。

1回抽選を引いておわりならすぐ終わるのだが、何分10連ガチャというやつは10回の抽選が連続して行われる。そのために全身を何度となく投げ出すことになる。いくら毛足の深いホットカーペットがひいてあるとはいえ、彼のヒザやヒジにはそれなりにダメージがあるのではないだろうか。

褒めていいかは悩むものの、この熱意には頭が下がる。

果たして私には、こんなにも何かに祈りをささげたことがあっただろうか。

もちろん今の子たちのようにタブレットなどはないし、ケータイやパソコンだってなかった。ファミコンがうちに来たのが何歳のことだったのか覚えがないけれど、すくなくともファミコンに祈りをささげたことはなかったはずだ。セーブデータが消え、あのデロデロした音を前にして地にひれ伏したことはあるけれど、それはまったく別の問題だ。

サンタクロースを信じていた時代に、プレゼントはこれが欲しいです……と願ったことはあった。しかし少なくともサンタクロースは無機物ではあるまい。いや有機物であればいいか、という問題ではない気がするけれど。

多分、うちだけじゃなくてどこの家庭でもガチャを回すたびに祈りをささげる子たちが発生しているのだろう。今のところは、勝手に課金するでもなく無料の範疇で遊んでいるのだから可愛いものだ。

しかしあまりにも敬虔なその祈りを見ていたところ、この光景を遥か未来から見たら、「この時代の子供たちは、『ガチャ』という宗教にみんな加入しており、タブレットを神として信仰していたようだ」なんて論説が出てきたりしてもおかしくないんじゃないかなぁ。

そんなことを思ってしまった冬の日の朝だ。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)