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花をめでる気持ちと年齢の相関性
春。
ほのかに暖かさも感じられるようになってきた。タイムラインにも桜が咲き乱れている。「私も桜の話がしたい」そう思ったけれど、『桜』の引き出しがない(笑
今年も花見に行く予定はないし、確か去年も花見に行っていない。
一番近いところで、何年か前に行った覚えはあるけれど、それはむしろライブを見に行ったのでした。屋外の、桜が咲き誇る公園での演奏は普段の3割り増しで素敵だったけれど、花より団子ならぬ花より音楽であったことは否めない。
その時の目当ては『ADAM at』というアーティストさんで、インストバンドながら踊れて上機嫌な曲も多くて素敵なのです。キューピーのCMソングとかやってます。
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もっと昔をたどると、そもそも花見に興味などなかった。
それこそ花より団子状態で、おいしいものがあるならそっちの方が良い肉食系。お年寄りは、花をよく愛でている印象もあるし、今後年を重ねるごとにもっと桜や、花が好きなるのだろうか。
そんなことを考えていて思ったのは、『結局、年や経験など関係なく、自分の境遇に近いものを愛でるようになるのではないか』という仮説。
境遇というのもあいまいな表現だけれど。ほら、若い人は新しくてこれから打って出るものが好き。中年(嫌な表現だ)になってくると、変わらないものに魅力を感じ、壮年になると散りゆくものに愛を感じる。
そうなると、別に経験を重ねたから、酸いも苦いもかみ分けられるようになる、とかではなくて、単純に年代ごとに好きなものが違うということになる。そこに繋がっているものはなくて、若者とお年をめした方がわかりあえないのは当然なのだ、ということですね。
……またわかりずらい論を展開してしまった(笑
そもそも今日は桜の話だったはずなのに、桜の話はほとんどしていない。いやこれもよくありますね私のnote(笑
今年はどこかに花見にいこうかしら。
毎年そう思っているうちに雨が降って桜のシーズンは終わってしまったりするんですよね。ああ儚い。この儚さを愛するようになるには、もう少し年月がかかるかもしれない。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)