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かつおと昆布と出汁の地域性の話 Vol.1【好まれる昆布の違い】

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
本年も四方山話などにお付き合いいただけましたら幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、今年の最初のお話は「地域による出汁の違い」について書いてみようと思います。

てのしまうどん

食というものは文化の一つであり、地域それぞれで育まれてきた土壌や歴史的な背景が違います。関東一つとっても「栃木」と「神奈川」では全く違いますし、それが日本全体ともなると本当に面白いくらいに違います。
以前勤めていたD&DEPARTMENTd47食堂では、その各地の食文化を勉強させていただく機会もあり、知れば知るほど日本の文化の奥深さは一筋縄ではいかないものだと実感します。
(全国の郷土食を、月替わりで提供しているd47食堂は本当に面白いお店です。機会がありましたら是非足を運ばれてみてください!)

そうなってくると和食の土台である出汁も、地域によって好まれるものは大きく変わってきます。
昆布か、かつお節か、いりこ(煮干し)か、メインに使うものは大きく分けて3つになるかと思いますが、昆布も『真昆布』『羅臼昆布』『利尻昆布』とありますし、節類もかつお節以外に『さば節』『宗田節』『うるめ』『あご』などがあります。
他にも出汁素材として、干し椎茸や炒り大豆が使われます。
更にそれぞれの土地によって、お醤油も味醂もお味噌も好まれる味の濃さも違います。

今回はその中で、日本料理で主役となるかつお節と昆布の出汁についてスポットを当てていきます。

ただ、あらかじめ申し上げておきます。
今回はさくっと違いについて述べるだけに留めます。
というのも、一度きちんと書いてみようとしたところ、長編大作(笑)になる予感しかなかったので、ゆっくり落ち着けるときに纏めて書いていこうと思います。
今回は好まれる味の違いについて書いていきます。

1. 好まれる昆布と出汁

今回は大きく分けて、『大阪』『京都』『東京』と3つにざっくりわけます。(金沢や名古屋などもありますが、今回はこの3つで説明します)
この3つは代表的な土地ですが、各地によって好まれる出汁味が全く異なり、また使われる昆布も異なっています。

【大阪】
真昆布を使用。昆布主体の出汁。甘味がある柔らかな出汁で食材と柔らかく結びつき、後ろから味わいをそっと後押しする。かつお節はあくまでも昆布の引き立て役として、下支えの黒子の役割を担う。だし自体はとても濃厚だけど、味付けは日本で一番淡い土地柄になる。
【京都】
利尻昆布を使用。軟水の土地柄で水を活かした料理を作る為、昆布とかつお節の味のバランスをとった淡い出汁を引く。味付けは塩味で全体の輪郭をきりっと立てた味わい。また、寺院などでは羅臼昆布や真昆布をやや濃い目に引いて精進料理に使われる。
【東京】
昔は日高昆布を使用していたが、時代と共に変化し近年では真昆布や羅臼昆布を主に使われるようになった。かつお節主体でどっしりとした力強さのある太い味わいの出汁は、素材のうまみを引き出し醤油や味噌などの強めの調味料との調和も取りやすい。

東京の説明に関して言いますと、東京には京都や大阪の流れを汲むお店も少なくありませんので、そちらで学ばれると利尻昆布を使ったり羅臼昆布を使うようです。
また、日高昆布を使用しているお店も、今でも多くあります。

お雑煮

2. なぜ好まれる昆布が違うのか

文化的な背景などを書くと、ここが一番長くなってしまうので短めに要点を書いていきます。

日本食の文化が最も花開いたのは江戸時代の中期ごろと考えられています。
戦という戦は殆ど無く平和な時代であったため、生活を豊かにすることに人々の意識が向いていました。
この頃になると醤油蔵や日本酒蔵などの醸造蔵が増えてきて、一般庶民でも手に入れられるようになります。同時にかつお節の製法も日本全国に伝わって製造されており、献上品や納税品という扱いから、徐々に一般にも出回り始めました。
また、北前船も盛んに北海道の松前から福井の敦賀や山口の門司を通って瀬戸内海経由で大坂に入ります。天下の台所として、多くの一級品や献上品が大坂に集まり、そこから朝廷や将軍家を筆頭に全国の主要な地域へと広がっていくようになりました。
それまでは、昆布というものは一般庶民ではおいそれと口にできるものではなかったのです。

この頃になると、地域によって使われる昆布に大きな違いがうまれました。
江戸の中期ごろの昆布の評価は、最上質とされていたのは『真昆布』、そしてそれと並ぶ評価を得ていたのは『羅臼昆布』です。
意外かもしれませんが、真昆布と羅臼昆布が双璧を成していました。
そこから二段ほど下がって評価されていたのが『利尻昆布』で、『日高昆布』は主に食べる昆布としての扱いでした。

利尻昆布の評価が低かったというところに意外性を感じる方は多いと思います。

【朝廷・将軍家】
最高品質の真昆布(白口浜産)が、献上品として使われています。
これが別名『献上昆布』と言われる所以でもあります。
それから有力大名へと真昆布や羅臼昆布が広がります。
その他のあまり大きくない、裕福とは言い難い大名家は、馴染みのない土地ではあまり使っていなかったようです。

【大坂】(大阪)
裕福だった大坂の街では、甘みがあって香りもほのかで品が良いということから真昆布が好まれて消費されていきます。市井においては献上されているものと同等のものを使うということはありませんでしたが、しかし当時の大坂商人には、有力大名家よりも財を成していた家もある(のちに、力を持ちすぎて危ないということでお家取り潰しになる)ほどでしたので、それに近いものを口にしていた方々もいた事でしょう。
商人が多いことから買い方も非常に上手で、良いものを安く仕入れる人が多かったことも、真昆布が多く使われた理由の一つとも考えています。

【京都】
では京都ではどうだったのでしょうか。
京都はまず天皇家と朝廷があって、お仕えしているお公家さんと職人の方が多く住まう町でした。お公家さんは上位の方であればある程度の裕福な暮らしはできていたようですが、大半の方は俸給だけでは生活できないため、今でいうサイドビジネス(茶道や華道や香道の御家元、和歌や蹴鞠を教えるなど)をされて生活を立てていらっしゃいました。
江戸中期の天皇家は皇室領として約三万石の土地を与えられていましたが、武家と比べると非常に狭いことがわかります。
(文久三年(1863年)で幕府直轄領が約四百万石、加賀藩が約百二十万石、尾張藩が約六十万石というところから考えると、天皇家なのに…と思ってしまうほど狭いのです)
そのため、多くのお公家さんは決して生活に大きな余裕があったわけではなく、慎ましやかに生活されていたため、手の出しやすい価格帯の利尻昆布が重用されました。
また、お公家さんはお武家さんのように体を鍛えるというよりも、どちらかというと文官としてお仕えする方が多かったため身体を動かす機会が少なく、味付けもあっさりとした物が好まれていたことと、他の地域に比べて軟水で出汁が出やすい水でもあったため、利尻昆布でも用を満たしていました。

【江戸】
江戸の街では、身体を動かして働く人や鍛錬で身体を動かしている武士が多く、京都や大坂のあっさり味とは逆の、ご飯をたっぷり食べられる濃い目の甘辛い味付けが好まれました。出汁を引くよりも食べることに重点を置かれていた為、昆布は出汁兼具材として日高昆布が使われており、濃い醤油や味噌にも負けないかつお節で主に出汁を引いていました。
余談ですが、元々の江戸蕎麦のつゆは、昆布を入れていないかつおだけの出汁で作られていたことは、そば好きには有名な話です。
現代でも、代々東京に住まう江戸っ子の方には「昆布が入ると出汁が甘くもったりしてしまうので、きりっとした味にしたいからかつお節しか使わない」と仰る方もいます。

【番外:寺社仏閣】
陰ながら権力を持っていた寺社仏閣などの精進料理を拵えていたところでは、旨味も香りも強い『羅臼昆布』や、甘みの強い『真昆布』が野菜料理に満足感をだすことができるため、非常に重宝されていました。
羅臼昆布はどの昆布よりもうまみ成分が最も多く含まれているのですが、香りや癖もその分強めに出るため、逆に肉魚を食べない方たちにはその強さが好まれました。

昆布は北海道や青森といった地域から日本全国に運ばれていたものでした。使われている昆布やいつから使われているかで、歴史や文化背景が見えるとても面白い食材でもあります。
更に昆布それぞれの違いが、各地域の味に大きく関わっているというのが見えてくると、ちょっとだけ面白いと思いませんか?
特に大阪と京都は隣接しているのに、味や文化が全く異なるのはとても興味深いものです。
贅沢に使うけれども<始末の精神>で余すことなく使い切る大坂
そもそも無駄なものを省いた<侘び寂びの精神>で慎ましやかな京都
江戸期に始まった土地ならではの勢いがあり、各地から人と文化の集まった<開拓者精神>の江戸
現代のように物流も情報も均一ではないからこそ育まれた違いが、日本の豊かさの基でもあります。

江戸時代の400年は偉大な時間でもありました。
次回はかつお節を含めて、更に深堀してお話を書いていきます。

お楽しみに♪

文章に残して、後の世代に繋いでいきたいと思っています。 サポートいただけると、とても励みになります。 よろしくお願いします。