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別に何もしなくてもいいわけよ

「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」


それが分からなくて「悩む」ということは、


その根っこには、

「好きなことがないとダメだ」

と思っている自分がいたり、


「何かをしていないとダメだ」

と思っている自分がいたりする。

それも、

見栄えの良い、

イメージの良い、

人に自慢できるような、

なんなら、

それでお金を稼げるような、

それで飯を食っていけるような。


「そういうものがないとダメだ」
と思い込んでいる自分がいたり。


「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」

という状態と、


「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」


で、「悩む」というのは、全く意味が異なる。

「分からない」のであれば、

別に何もしなかったらいいわけで。

「分からない」のであれば、

「ああ、そうか。今は分からないんだな」
とだけ思っておけばいいわけで。


そして、とりあえず今思いつく、
小さなことをやっていればいいわけで。


何か他のことを思いついたら、
そのときそれをやればいい。

でも、

「分からない」ということで躓いて、
いちいちそこで「悩む」ということは、


自分は何か明確に好きなものがあって、

それに没頭していて、

人に自慢できるもので、

人に感謝されるもので、

人に貢献できるもので、

それで飯を食っていけるもので。


そういう世間的に
「立派」な「好きなもの」がないとダメだ。


と思い込んでいる自分がいたり。

だから、

「自分の好きが分からない」
そうやって悩んでしまうときは、

「そもそもそれは、悩むべきことなのか?」
こうやって、自分を疑ってみるといい。


また、今の時代。

「自分の好きなこと」

「自分のやいたいこと」が

分からない、明確にない。


というのは、ある意味当たり前だと思っている。

なんでか?


それは、「情報」と「選択肢」が多すぎるから。


人は、

ある程度制限のある情報や選択肢の中であれば、そんなに悩んだりはしない。


つーか、そもそも悩めない。


でも、今の時代はそうはいかない。


インターネットを通じて、
世界中の情報にアクセスできるわけで、

毎日、自分の頭の中には
とんでもない量の情報がインプットされる。


実際にできるかどうかは別として、

実際になれるかとうかは別として、


あれもあるし、

これもあるし、

それもあるし、


情報の量と選択肢の量が増えすぎて、


脳は常に飽和状態で、軽いパニック状態。


これだけの情報に触れて生きている中で、

「自分の好きなものはこれです!」

「自分がやりたいことはこれです!」

そうやって、明確に言い切れないのは、ある意味当然でしょう。


だからね、

「自分の好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのかが分からない」

という状態は当たり前なわけよ。


自分一人だけが、そういう状態じゃないわけよ。


自分の身の回りの人で、

輝いて見える人

生き生きと働いている人

何かに没頭している人


そういう人を見ると、

ついつい焦ったり、

今の自分がダメに見えたり

そう感じることもあるけど、


それで自分を責める必要はないのよ。


「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」


それが分からなくて「悩む」ということは、


その根っこには、

「好きなことがないとダメだ」と思っている自分がいたり、

「何かをしていないとダメだ」と思っている自分がいたりする。


「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」

という状態と、


「自分が好きなことが分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」


で、「悩む」というのは、全く意味が異なるのだ。





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