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大学のシラバスからみる韓国語:大学の韓国語教育④


「なぜ何を学ぶのか」と「何をどこまで学ぶのか」

 大学のシラバスには学習目標(なぜ何を学ぶのか)と到達目標(何をどこまで学ぶのか)が記載されています。シラバスとは講義の内容や進め方を記した計画書のことです。大学の先生は自分が担当した科目のシラバスを書きそれに沿って授業を運営します。欧米の大学は学生とかわす契約書としてかなり丁寧なシラバスを作るようです。

 外国語を教える教員の多くは、語学教育の目標には異文化理解を掲げるべきだと認識しています。実際に公開されている教養カリキュラムの韓国語のシラバスの中から、「学習目標」の部分を見ていきましょう。下記は某大学の韓国語のシラバスの一部です。

韓国・朝鮮の文化、社会を知る入り口としての言語入門クラスです。特にK-POPや韓流ドラマ・映画、あるいは日本と朝鮮半島の歴史や社会関係などに関心を持つ人には、格好の学び場所です。このクラスでは、朝鮮語の文字と発音から始め、朝鮮語を理解するために必要な基礎的な文法事項を、教科書に沿って体系的に学びます。韓国の映画やドラマ、K-POP、社会ニュースにも触れながら、分かりやすくて楽しい授業を進めていきます。ハングル検定試験の5級に対応できる語学力が身につきます。

共通科目「初修者向け韓国語」のシラバス

・ハングルの仕組みを知り、書き方、発音に慣れるようにする。
・短文を繰り返して音読・暗唱し、読む・書く・聞く力を養う。
・自然な会話に慣れるように、ネイティブと話せる機会を設ける。
・視聴覚機材を活用し、韓国文化に慣れ親しんでもらう。

共通科目「初修者向け韓国語」のシラバス

 このように、シラバス上では、教養カリキュラムでも文化について触れている大学が多いです。(そうじゃない大学も当然あります)
 こうしたシラバスは、学生からすれば、1年後には会話出来るようになって、韓流についても深められるようになるんだな〜と期待させるような「思わせぶりなシラバス」です。毎年4月、新入生の外国語学習への意欲と期待感って本当にすごいです。
 でも、実際には、日本の初級テキストで文化教育がなされていないことが、すでに研究でも報告されています。文字を覚えたGW開け以降、文法に入り、単語テストが始まり出すと、意欲満々だった学生の表情が苦しそうになってきます。文化話は、語学授業の息抜きとして行っていますが、大規模大学に至っては、進むページ数まであらかじめ決められていて、脱線して与太話をする余裕すらなかったりします。しかし中級向け授業が設置されている大学は数が限られます。
 つまり、文化を教わるのは実質、中級以降からなのです。(最近になって、中級以上の韓国語教育における文化教育に関する研究や事例報告も登場し始めています。)
 あるいは、文化については、語学とは別の一般教養の科目として履修するという考え方もあります。ただし、韓国語の教養プログラムを持つ大学数は6割以上ありましたが、語学以外で韓国について学べる授業を設置している大学数はかなり少なくなります(こちらについては調査がないので数はわかりませんが)。

文化を教えないということの問題点

 ステレオタイプには気を付けよう、文化はみんな違ってみんな良い(文化相対主義)、相手もバカじゃない(他者合理性)。これらは「異文化コミュニケーション」の基本だと思います。でも、語学のテキストには載っていません。
文法教育だけを行うとはどういうことか、思い当たる例があります。2018年にBTSの原爆Tシャツ問題が起きたときです。
 当時、学生達は、周りの大人達に責め立てられるBTSを見て、何をどう捉えたらいいのか分からなくなり、混乱に陥りました。日韓の歴史認識の摩擦についても知りませんし、日本の言い分も韓国の言い分も知りません。日本での原爆については知っているでしょうが、韓国の植民地解放については知りません。文法教育は受けていましたが、異文化理解教育を受けていなかったのです。異文化接触による摩擦が起きたときに、文法教育は無力感しか与えませんでした。BTSの原爆Tシャツ問題のように、大きな摩擦が起きたときに対処できる力を養うことこそが、異文化理解教育じゃないんでしょうか。
日本での嫌韓現象、BTSの原爆Tシャツ、竹島問題・・・いずれの出来事に対しても、文法教育が全くの役立たずだったのを見て、私は語学教育がいかに文化と乖離しているのかを思い知らされました。
 語学教育の研究会でも、文化についての議論はされてます。どんな文化をどのように教えるかという議論です。そこで真っ先に共有され、皆さんが納得してしまっているのが「歴史には触れない」でした。それぞれの価値観があるから、私の価値観を開示して押しつけるのは良くないというのです。
 私はこの考え方に、そもそも今の外国語教育における文化教育に対する誤解という問題が垣間見えます。これについては、また後日のブログで議論したいと思います。

 文化について、何をどのように教えるかについては、確かに議論が必要です。ほぼ普遍的になった文法事項と比べて、扱う内容が膨大なのです。歴史学、文化人類学、宗教学、美学といった人文科学系統、政治学、経済学、社会学といった社会科学系統、生物学、地質学といった自然科学系統…こういった個別の学問すべてが「文化」だからです。収拾がつかないので思考が停止してしまっているのかもしれませんね笑。この分野は相互に絡み合って複雑であるため、「体系性」という単純明快な分かりやすさで語れませんから。それでも「基本のき」を教えることは可能だと思っています。
 ちなみに私の大学の韓国語教育では、専攻科目として文化系の授業を設置しているので、上記の分野について歴史や見えない文化、異文化理解論的な話はそれなりの時間を掛けて行います。原爆Tシャツ問題からみえる歴史認識の差異についても毎年例に挙げていて、若いアミたちに癒やしを与えています。(この話題もいずれこのブログでも書いてみたいですね)

外国語教育の中で文化を教える

 京大の小倉紀蔵先生がつくられた、シラバスの学習目標(授業の概要・目的)を見てみます。

朝鮮半島及び日韓・日朝関係を文化的・社会的・歴史的な側面において理解し、東アジアにおいて生きていくための自分なりの世界観を身につけるための語学教育(世界観養成語学教育)です。広義においては「異文化理解」となろうが、単に「異なる文化」を「理解」するという意味ではなく、自明のものとされがちな「自文化」を相対化し、近接した他者との複雑性の中でそれを解釈した上で、今後自らが朝鮮半島とどのような関係をアクチュアルに構築するべきかを考究するために必要な最低限の語学力を養成することを目的である。
本授業では、まず朝鮮語の文字と発音を正確にマスターし、次に朝鮮語の初歩的な文をつくることができるように指導する。

京都大学-全学共通科目-外国語科目群「朝鮮語ⅠA(演習)」シラバス

 小倉先生も私も言語学以外の人文学が専門だからなのか、私が小倉先生の「ファン」だからかは分かりませんが、私も100%この趣旨に同意します。
 次は、「到達目標」と「授業計画と内容」です。

①朝鮮語の文字と発音を正確にマスターする。②朝鮮語の初歩の文法を段階的に習得する。③朝鮮半島の文化・社会・歴史などに関する知識を身につける。

第01回 イントロダクション/朝鮮語・韓国語とは? 
第02回 ハングルの文字と発音1
第03回 ハングルの文字と発音2     
第04回 ハングルの文字と発音3 
第05回 ハングルの文字と発音4
第06回 ハングルの文字と発音5     
第07回 朝鮮半島の文化1   
第08回 朝鮮半島の文化2
第09回 中間試験/ 朝鮮半島の文化3
第10回 朝鮮半島の社会1 
第11回 朝鮮半島の社会2
第12回 朝鮮半島の政治・経済・日韓関係1
第13回 朝鮮半島の政治・経済・日韓関係2      
第14回 全体のまとめ
第15回 定期試験  
第16回 フィードバック

京都大学-全学共通科目-外国語科目群「朝鮮語ⅠA(演習)」シラバス

 言葉を文化の中に位置づけ、文化的な視野を広げており、第7回からは文化が主体になっていますね。言葉が手段となって文化を学ぼうとしています。しかも、「文化、社会、政治、経済、日韓関係」というタイトルからも分かるとおり、あきらかに別の学問と接合しています。料理名、大学生活、コンビニやカフェに売っている商品名といった身の回りの暮らしレベルの文化ではありません。
 こちらの大学の「朝鮮語(韓国語)」には「文法」と「演習」の2つの科目があり、「演習」ではテキストを使わず、プリントで授業を進めていらっしゃるようです。他の外国語では「演習」を「会話」の授業としているようですが、小倉先生は「会話は教えない」と発言されていて、上記のような授業になっています。初級の韓国語の大学のシラバスを10校以上は見ましたが小倉先生の様なシラバスはありませんでした。殆どの大学が教科書を教える形なので。ですからこのシラバスは相当ぶっ飛んでいるといえます。もちろん良い意味で😊
 あらためて、初級の語学授業でここまで文化を入れる、ここまで振り切ってもいいんだな、と勇気を得ました。

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