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TOPIKシンポジウムに参加して〜Kコンテンツと検定試験の関係とは〜

 「TOPIKで楽しむKコンテンツ Kコンテンツで伸ばすTOPIK」というシンポジウムが24年6月に開催されました。実はフロアからの仕込みコメンテーター・質問者を直前に仰せつかっていました。残念ながら時間がなくてコメントできなかったので、ここに私の考えを記しておこうと思います。


TOPIKシンポジウムに参加して

 「言葉と文化」が結びついているのは当たり前のことですが、外国語教育だと言葉にフラグの立った人が携わることが多いからか、言葉が強調されすぎることがあり、本ブログでは「言葉と文化はセットです」と言い続けています。「言葉」が「検定試験」に、「文化」が「Kコンテンツ」に置き換えられているのがこのシンポジウムなんですね。

「言葉と文化」について語っている英語教育のレジェンドの江利川春雄先生は、AI時代の英語教育の中で「検定試験や異文化理解」について次のように述べています。

言語とそれを生み出した文化は切り離せないが、AIに可能なのは文化から切り離された「言語」の操作だけだ。したがってAI時代の外国語教育は、母語とは異なる言語を学ぶとともに、その背景にある異文化への探究心を育てることに比重を置くべきである。それは人間にしかできないし、学校で外国語を学ぶ本来の意義である。日本人が外国語を学ぶ意義は、日本語と日本文化によって制約された自分の思考の枠組を超え出て、まったく違う音声、文法、発想法、そして文化に触れ、思考を外の世界へと拡張すること、そのワクワク感と知的な背伸びを体験することだ。それによって自分の母語と日本文化を相対化し、自覚的・批判的に再認識することになる。そうした学びは英検やTOEICのスコアを伸ばすことの対極にある。スコアは目標ではなく、結果に過ぎない。

江利川春雄「英語と日本人」

 つまり語学教育において「検定試験」と「文化」は水と油のように関係が遠いというのです。私も同意見です。ですから、かなり難易度の高い企画だなとは思っていました。

ではさっそく、シンポジウムを振り返ってみましょう。

 まず、「Kコンテンツだけではバランスが悪いので、四技能バランスの取れた『正しい韓国語』を身につけるためにはTOPIKを受験するべきだ」という主張がありました。

 これは韓国語教育者の間でかなり一般的に見られる考え方です。「Kコンテンツにしか触れていない人の韓国語力を補うためのTOPIK」ということです。「Kコンテンツ=偏った・正しくない韓国語」、「TOPIK=正しい韓国語」という認識も、韓国語教育者の間でよく見られるものです。Kコンテンツから「正しい韓国語」に誘導するべきだという主張を強く持っていますが、「Kコンテンツを楽しみたい」だけの人からすれば、余計なお世話ではないかとも思います。

 一方で、シンポジウムでの発表について、納得する部分もありました。私が常日頃思っていることと同じことを感じているとも思いました。しかし同時に、それらは「検定試験とは相性が悪い事柄である」と思っています。

 そこで、シンポジウムで聞かれた主張について、コメントしていきます。

◾️「Kコンテンツは検定試験の読解問題・作文問題を解くのに役立つ」

 登壇者の共通した主張として、「文化的な文脈」を学べばそのことが検定試験に役立つ、というのはその通りだと思います。しかし、文化的な文脈は検定試験対策にそこまで必要な力でしょうか。

 例えば、日本語の「ねこ」は韓国語で고양이(コヤンイ)です。最近はかなり変わってきたとはいえ、日本と比べると不気味な動物というイメージがあります。ひと昔までは、お土産に「招き猫」を渡すと苦い顔をされたといった逸話までありました。これ文脈ですが、検定試験でそのような事柄が問われることがありません。検定試験対策用の単語張にもそのような記述はないし、単語が持つイメージまで理解することを求められていないのです。

 ドラマで「霊媒師・シャーマン・占い師」と色々な訳がつけられる人物は、韓国語では무당(ムダン)です。日本にローカライズするために、状況に合わせていろんな訳がついているだけです。こういった、ローカライズしないと意味が通じない事柄も、検定試験の対象から外れることが多いです。(ハングル検定の上位級は例外)

 なるべくたくさんの単語を暗記して効率的に臨まなければならない検定試験対策では、とめどなくダラダラと示されるアナログ的な文化知識は、むしろ邪魔なのではないでしょうか?

 そもそも、「検定試験の問題をうまく解くためにKコンテンツに触れる」って本末転倒も甚だしくありませんか。Kコンテンツを知りたいから韓国語を学んでいるんですよね?

 「Kコンテンツで伸ばすTOPIK」というのは、正しい韓国語を身につけるためにTOPIK受験に精を出しているが、Kコンテンツを見る・聞くことで点数をさらに伸ばせるかもしれませんよ、というアドバイスです。初めからKコンテンツを見る・聞いている人には役に立たないアドバイスですね。

◾️「TOPIKで楽しむKコンテンツ Kコンテンツで伸ばすTOPIK」というタイトルの持つ意味

 こうしたタイトルのシンポジウムは、「学習者ニーズに応えた韓国語教育をするべきである」という考えに基づいていると思います。これも、昨今の韓国語教育者の間でよく聞かれる提言です。

 「Kコンテンツで伸ばすTOPIK」は、①に書いた通り、Kコンテンツを知らない人向けのアドバイスです。では、「TOPIKで楽しむKコンテンツ」とはどういうことでしょうか。

 これは「TOPIKの試験問題・練習問題中にKコンテンツが登場していて、TOPIKの中でKコンテンツを楽しむことができる」ということではもちろんなく、「TOPIK対策で正しい韓国語を身につけるとKコンテンツがわかって、より楽しめるようになる」ということですよね。この文からTOPIK対策を外しても成り立ちます。要は、「韓国語を身につけるとKコンテンツがわかるようになる」と言っているだけです。

 ただ、検定試験対策が「正しい韓国語」を身につける最短の道であることには一理あります。その通りだと思います。問題は、身につけるものが「正しい韓国語」である点です。「正しい韓国語」には、덕질(オタ活)や성덕(成功したオタク)といった推し活界隈で使われる「偏った・正しくない韓国語」は基本的に含まれません(笑)。Kコンテンツ好きが韓国語学習を始めた時に感じる違和感は、これなのだろうと思っています。「偏った・正しくない韓国語」を期待して勉強し始めたけれど、「正しい韓国語」しか出てこないな、と。(そういえば、かつて「韓流検定試験」のようなものも検討されていたような気がしますが、どこへ行ったのでしょう)

Kコンテンツに興味を持った学習者がいる
Kコンテンツに関連する教材を作って学習者を喜ばせたい
Kコンテンツと絡んだ内容だったら学習者も頑張れるかも

 こういった「学習者ニーズに応える教材」の模索が、韓国語教育者の間でも始まっています。そういった思いから作られたのが、「ドラマ<で>学ぶ韓国語」「KPOP<で>学ぶ韓国語」です。

 しかし、私はここでも注意が必要だと考えます。韓国語教育者は、ドラマやKPOPを素材にして「文法」を教えようとします。文法を習得させることが目的で、Kコンテンツはそのための素材にすぎません。だから、既存の文法事項に沿った例文を、ただドラマやKPOPから探し出してきて配置しただけのテキストになりかねないのです。

 Kコンテンツについて学べる!という学生のワクワク感が、文法解説と文型練習の詰め込み教育によって見事打ち砕かれるのです。「あれ?期待したほど面白くないんだけど、私の頭が悪いのかな」と。でも、違います。教える側、テキスト側のベクトルが、「Kコンテンツ」にではなく、「文法」に向いているからなのです。

 では、Kコンテンツの方に矢印が向くとどんなテキストになるのでしょうか。いわゆるオタクが使用するフレーズや単語だけを集めた韓国語本です。こういった本は、大学で使用するテキストとしては存在しませんが、一般書としてはかなり出回るようになりました。まさに学習者ニーズに応えていると思います。

 しかし、これは教育という面では少し問題があります。少なくとも高等教育機関であれば、偏った韓国語を散発的に教えるのではなく、体系的な学びを提供したいし、それが求められるからです。これは、文法とKコンテンツのベクトルのバランスを取るということです。

 ドラマやKPOPには文法とは別の体系があって、既存の文法で章を組み立てるのではなく、全く別の体系を考えなければならないのです。これは簡単なことではありません。相当な力技、ゼロイチの仕事であることは間違いありません。したがって、この手のバランスの取れたベクトルの教材は実はなかなか存在しません。テキスト制作者が、そもそもドラマやKPOPをよく見ていない、聞いていない人が多いことも影響しているでしょう。

 また、Kコンテンツを深めるには、意味世界とか常識をいかに記述するかという点が大事なので、公式やら定説やらといった正答をズバリ示せるものではありません。じわじわとわかってくる教養の領域なのです。これは、検定試験対策の勉強とは本当に正反対なのです。

 推し活をしていて文字は覚えました。次の目標はハングル検定ですか、TOPIKですかと聞かれたら、私はどちらでもないと言います。そして、「効率よく学習せず、遠回りしてください」と言いたいです。検定試験対策という「近道学習」は、自分の興味や蛇足を排除させます。でも、興味が芽生えたら脇道に逸れて調べてみることは、検定対策のコスパを悪くする無駄な動きですが、そこにこそ「あなたらしい学び」があるのです。

 検定試験そのものは、力試しとして受けてみたらいいでしょう。そう「箸と検定試験は使いよう」です。みんなが目指すべき目標ではありません。そして、検定試験対策の背後にある価値観には注意をしてください。「短期間の学習で合格することが良い」という効率性は、語学学習の幅を狭めます。あなたらしい言語世界を狭めてしまう価値観なのです。



ここから先は「おまけ」

検定試験って何?

 じゃあこの検定試験の織りなす世界って何なのでしょうか?それは、リアルな言語世界から、ある特定の単語や文法だけを「学習すべきもの」と決め、その学習すべきものを習得できているかを評価して「学習者を格付けする」ことが、韓国語学習における唯一の正しい道と捉える「格付け韓国語学習」のことです。

 書店の英語コーナーには、英語の検定試験対策の本が最も多く並んでいるほどですから、「格付け外国語学習」だけが正しい道を思っている人が多いのも仕方がありません。また、学習者にとっては見える目標と結果が欲しい、タイパコスパの良い学習法に映るのかもしれません。社会的にオーソライズされていて履歴書に書けるというのもポイントでしょう。検定試験合格が外国語学習の唯一の正しい目標であると思っている教員が多くいることも事実です。

 さらに、この「格付け外国語学習」が揺るがないのは、検定試験団体とそれを支えようとする教育者・言語学者、そしてその二つを支えてビジネス化する出版社が、互いの利権を支え合っているからでもあります。ちなみに私はこの3つを「魔のトライアングル」と呼んでいます(笑)。団体は検定試験を普及させたい、教育者・研究者は学生にモチベを与えたい、出版社は本を売りたい、それぞれが当たり前の目的ではありますが。

 モチベーションを与えるために試験を目標に置くことはあり得ると思いますが、韓国語はそもそも目標を与えなくても学習者にモチベーションがあることが多いです。「格付け外国語学習」は、もともと机の前に座って単語を書いたり暗記したりといったスタディー好きに有利なものですが、Kコンテンツを好きな人がみんな勉強好きなわけでもないわけです。

 だから、「Kコンテンツが好きなら検定試験を目指しましょう」という誘い文句は、ある人にとっては有効でも、ある人にとっては興味のないものとなります。「Kコンテンツが好きで勉強するのも好きなら、検定試験を目指してみるのもありだよ」くらいに留めて欲しいなというのが個人的な願いです。スタディーが板についていない人は見向きもしないものでもあるんですけどね。


もし検定試験と文化の関係性を述べるなら

 あるドラマの台詞を丸ごと読みこみ、言説分析をするなどして、その結果が、TOPIKとどの程度関係するのかを実証するのはいかがでしょうか。KPOP文化であれば、アイドルの動画やSNS、ファンのSNSなどを読み込んだ分析結果を比較するといったことが可能です。TOPIKを主催する韓国教育財団はお金がありそうですから是非やってほしいところです。

 むしろ学習者もうすうす気づいていた検定試験とKコンテンツの関係性について、団体自らが「全く関係ありませんでした」と白状してしまったと思います。シンポジウムの旨趣は、検定の認知と受験に向けての前夜祭的なノリだと思うので、そんな目くじら立てるな、深く考えなさんなと言われそうな気もしますが。





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