こんなぼくに、「応援しています」といってくれる人が現れた話

9/19。

5:00起床。

天気は晴れ。





とてもひさしぶりに、ぼくをサポートしてくれる人が現れた。


自分で自分に爪を立てたくなるような衝動にかられながら、PCを開くただ今午前5時。この爪を喉に食い込ませるには、ぼくにはまだ、やり残したことがたくさんある。


変わらず、新人賞に応募する小説を書く日々。先日、プロット(2回目)が完成したので、執筆作業(2回目)に取り組んでいる。


正直、しんどい。プロットが手元にあるとはいえ、それに膨らみを持たせようとする度、自分の才能の無さを実感する。けれど、その痛みをこらえながら書いている。まずは、「書き上げることが大切だ」と言い聞かせて。


1回目の執筆作業も、そうだっただろう? 磨き上げるのは、あとでいくらでも(は、いい過ぎだけど)できるんだから。


午前に3時間、午後に3時間。計6時間。ぼくが執筆している時間。同時に、痛みに苛まれている時間。


ぼくは、時々わからなくなる。何かを生むのは痛みを伴うというけれど、この痛みに相応する、もしくはそれ以上の作品は生まれるんだろうか? 生んでみないことにはわからないのは、わかっているけど。


昨日も、朝がやって来たことに半ば絶望していると、noteからサポートが入ったとの通知。


「誰?」

「こんなぼくに?」


サポートしてくれたのは、ぼくの記事をよく閲覧してくれるフォロワーさんだった。その人もことばを扱う人で、とても丁寧にことばを扱うのを見る度に、朝露に濡れた野花を見かけたような気持ちになるのだった。


ぼくは、サポートと共に送られたメッセージに、驚いてしまった。「こんなぼくが」「ぼくなんかが」が口癖になっているぼくの記事を読んでくれ、さらに「応援しています」といってくれたのだ。


ぼくの記事を読んでいるということは、ぼくが新人賞に向けて小説を書いていることも知っている。小説を書くという一人作業の中、自分一人暗闇の中をさ迷っている中(実際に、部屋を暗くして書いている。)光が一筋差し込んだような気がした。


そういえばぼくは、noteという公共の場で自分のことばを発信しているのだ。そんな当たり前のことを、改めて実感した出来事だった。そして、ぼくのことを気にかけてくれる存在があることも。


そうだった。ぼくは思った。ぼくが書いているこの小説は、「誰かの居場所になりたい」と願って書き始めたものだった。その「誰か」のことを、忘れてしまうところだった。あぶない、あぶない。


たぶん、小説を書き上げるまで、この苦しみは続く。でも、それを待ってくれる「誰か」がいることを、忘れないでいたい。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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