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「死んだように生きる」方がましだって話

10/6。

6:01起床。

天気は曇り。





「おいで」


といったら、まだ半分寝ているパートナーがこちらにやってきた。


(ちなみに、今朝は布団の中でこれを書いています。)


ぼくの肩におでこを寄せると、ぐりぐりとすりつける。


「ここにいますよー」って。


そんな朝です。はい。


なんだか、『ひどい夢』を見ていた気がする。でも、そんなことはどうでもいいことなんだろう。『ひどい夢』なら、忘れてしまった方がいい。『ひどい現実』も、できれば忘れてしまいたいけど。


まあ、『ひどい現実』の中にぼくはいないんだけど。……少なくとも、今だけは。もしかしてこの今は、つかの間の休息だったりするのかな?


『ひどい現実』なんて、もうこりごりだ。けれどまた、次から次へと押し寄せてくるんだろう。


ああ、怖い。


それなら、『ひどい夢』を見続ける方がましだ。……いや、そんなことはないな。ひどかろうがなかろうが、覚めない夢ほど恐ろしいものはない。


結局、『ひどい夢』だろうが『ひどい現実』だろうが、ぼくはどこへも逃げられないんだ。


ああ、怖い。


『ひどい夢』も『ひどい現実』も付いてくることができない場所は、ないんだろうか。夢を見ることもなく、現実を生きることもなく……。そんなの、自分で自分を殺すしかないじゃないか。却下。


「実際に死ぬ」


「死んだように生きる」


この二つは似ているようで、大きな違いがあるのだよ君ぃ。


「死んだように生きる」っていうのは、ことばのあやみたいなもんで、生きていることに変わりないんだよ。でも実際に死んだら、「死んだように」も「生きる」も全部無くなってしまうんだ。


それなら、死んだ魚の目をしたまま、生きる方がましだろう。


……なんの話だっけ?


『ひどい夢』にうなされ、『ひどい現実』にはうめき声を上げ。「死にたい、死にたい」が口癖のぼく。本当に死んでしまおうとしたことも、一回や二回じゃきかないけど。たぶん、これから先も、本当に死んでしまおうとするかもしれないけど。


でも、パートナーに「おいで」ってできるのは、生きている内だけだから。「そんなことかよ」って思われてもいい。それが、ぼくの生きるよすがになっている。


そんなよすがは、今日は休み。ちょっと良い朝食でも、作ってあげようかな。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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