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筆を折る行為は、首を折る行為に等しき。

9/17。

3:31起床。

天気は雨。





応募する予定の新人賞の〆切まで、一ヶ月を切った。


プロット(ver.2)の手直しも終わったので、昨晩から執筆作業に入っている。今のところは、予定通りに進んでいる。「このまま順調に進むだろうか」なんて不安を抱える暇もなく書いている。


Q.何のために書いている?

A.生きるために書いている。


「小説は楽しい」とか、そういうレベルじゃない。そんな場所よりも、ずっと底辺のところで、ボクは書いている。


「書くために生きている」んじゃなく、「生きるために書いている」。ここ、同じようで違うので、覚えておいてもらえると、助かります(?)。言い方を変えれば、「書かなきゃ死ぬ」です。


これは、残念ながら大げさではありません。アウトプットした日としない日じゃ、雲泥の差なのです。


何もしなかった日は、ボクは自分を「死んだ方がいい人間」だとみなします。うちのベランダから階下へダイブしたくなります。けれど、頭の内を書き出すと、その衝動は治まります。非常に厄介な人間なのです。


きっと、事が予定通りに進んでいるのも、単純明快。毎日毎日、何時間も書き続けているからだ。


少しでも立ち止まれば、あっという間にすらんぷに陥ってしまう。そうならないために(特に、今は〆切まで時間がないので)、「書け、書け」とボクはボクを急き立てる。


「生粋のもの書き」といえば、聞こえはいいけれど。ボクは、そんな格好のいいものじゃない。ただ、ボクにとって筆を折る行為は、首を折る行為に等しいだけだ。


ボクを×すのは、簡単だ。握って離さないこの筆を、取り上げればいい。けれど、そんなことはさせないよ。


ボクはまだ「生きたい」、もとい「書きたい」んだから。それが満たされるまでは、誰かにこの筆を譲るつもりも、ましてや折られるつもりもないよ。


正直、今書いている話は、作者である自分が見ても気持ちのいい話じゃない。だからこそ、書いている。今まで直視出来なかったものと向かい合い、「書かざるを得ない」ものを書いている。そして、「生きている」と実感できるんだ。


さあて。


だからボクは、今日も書いてみせるよ/生きてみせるよ。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
ボクと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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