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”自分自身に見放されること” それが、

11/19。

5:10起床。

天気は晴れ。





もう、いいんじゃないかな。


もう、大丈夫なんじゃないかな。


そう思っていたけど。


ぼくはまだ、まともに生きられないんだな。


『まだ』じゃないな。


これから先も……ううん、今までだってそうだった。ぼくがまともに生きられたことなんて、ただの一度もなかったんだ。


また、不調の波が来ている。


何があったわけでもないのに、


「何の意味もない人間だ」


「何の価値もない人間だ」


だから、


「死んでしまいたい」


ああ。


この不調が、月に一度やって来るのはわかっているのに。


大丈夫だよ、ぼく。それはね、本音じゃないんだよ。ちょっと、色々と思い込みやすい時期なんだよね。ほら。温かいものでも飲めば、落ち着くよ。だから、大丈夫。大丈夫だよ……。


自分で自分を慰めても、どこかへ消えてしまいたい思いは消えない。


何が悪いんだろう? 何がだめだったんだろう? ぼくという人間が、そもそもだめだったんだろう?


……ああ、だめだ。慰めなきゃ。慰め続けなきゃ。そうじゃなきゃ、ぼくはまた、ぼくを見失ってしまう。ぼくはぼくを手放してしまう。自分自身に見放されること。それが、きっと『死』だ。


それは、わかっているんだけどな。じゃあ、ぼくはどうすればいいの? 「死にたい、死にたい」と嘆いているこの思いが『波』なら、過ぎ去るのを待てばいいの? 


……そうだ。それが一番だね。今までだって、そうしてきたんだから……。


けれどその間、ぼくは『波』を被りっぱなしになる。しょうがない。しょうがないことだ。大丈夫。それは、永遠じゃないよ。永遠のような時間かもしれないけど。


冷たいだろう? 凍えるだろう? 今すぐ、暖めてほしいだろう? でも、誰も暖めちゃくれないんだよ。だって、ここはぼくの中だから。誰も来てくれないよ……。


ぼくに「死んでほしい」自分と、「生きてほしい」自分が拮抗している。ぼくは、涙を流す。その戦いが痛くて、涙を流す。大丈夫、大丈夫。もはや、これは呪文だ。大丈夫。ぼくは大丈夫だから……。


大丈夫。ぼくは、今日も生きる。今日が命日になることはない。少なくとも、自分で自分の命を断つことは。したくてしたくてしょうがなくなっても、歯を食いしばって止めるから。


ぼくを、これ以上苦しめないで。


お願い。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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