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半分不登校。

はじめまして。相沢鈴菜と申します。

私は今、タイトルの通り"半分不登校"の状態にあります。
出席数は必要単位最低限は確保しており、友人もいます。決してイジメられていたりだとか、深刻な理由がある訳ではありません。

しかし、学校に行くことが気鬱でどうにも行動出来ず、休みがちになってしまっています。
そして、何かする訳でもなく、自宅に引きこもり一日が過ぎてしまう。
同じような境遇の方や、そのような方が近くにいる方にも一例として知っていただきたく、私がこうなってしまった理由と心理状態についてお話させていただきたいと思います。


①生き甲斐の損失

私は今、世間で言うところの「進学校」に通っています。
中学、高校と勉強と向き合い、それを達成することに生き甲斐を感じ生活してきました。
しかし、高校3年生の始めに挫折をしてしまいます。やり甲斐を感じていたものを失ってしまいました。気力がない自分と、それを責める自分に葛藤し、自律神経失調症の症状が出てしまいました。それ以降、何事にも活力を見いだせず、心身ともに脱力感と共に過ごしています。

これはあくまで私の体験談でしたが、
『何か熱意を持って接していたモノを失ってしまう』という出来事は、今まで何かにストイックに過ごしていた人により深いダメージを負わせてしまう思います。生き甲斐を失ってしまうということはその周りにあった他のモノへの気力を全て削いでしまうほど大きい出来事といっても過言ではないでしょう。


②親しい人との疎遠

私には5年間交際した彼女がいました。
ほんの少しのすれ違いから別れを告げられ、この出来事は勉強に挫折し傷心していた私にはあまりに痛い追い討ちでした。
何かがうまくいかなくても、自分で自分という存在が認められた要因でもある彼女を失ってしまったことはかなり大きい出来事でした。

友人や恋人問わず「自分と親しい人物の存在」というのは自己肯定においてとても重要なものです。それを失うということは、その人物だけでなく自分を見失うことにも直結しかねません。自己肯定感が薄れるというのはかなり精神的に辛いものがあり、生活していても「生きている」という実感を感じれなくなって、活力を削いでしまいました。


以上のように、「可視化できない問題」がその人の生活を壊してしまうということは容易に起こり得ます。

目に見える理由が見当たらないのにも関わらず、不登校になってしまっていたり、生活を普段通り行えなくなっている人が周りにいたら、すぐに「怠惰な奴だ」と判断をするのではなく、今一度目に見えない部分を丁寧に推し量ってあげてください。

「そんなことで〜」なんて思う方もいらっしゃると思います。しかし、「そんなこと」が本人の心にとってどれくらいウェイトを占めるものなのかは人それぞれです。
「恋人と別れる」や「勉強の挫折」なんてことは、多くの人が経験することで珍しいことではないかもしれません。しかし私にとっては、「私」という存在価値を揺るがせるほど大事なことだったのです。

人の気持ちはその人にしか分からないと思います。分かってあげてほしいなんてことは言いません。是非その人の感じるままにしてあげてください。気持ちを他人の定規で図らないであげてください。

私と同じように気力が削がれ、何も手が付かず悩んでいる方、もっと自分に甘えてみませんか。
今日も生きている自分、偉い!なんて、冗談交じりでもいいので考えてみるのもアリだと考えています。
私はそうした心構えから自分のやりたいことが少しずつでも見えてくることもあると思います。一緒に頑張って生きましょう。

高校生の駄文をここまで読んでくださり感謝致します。