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【十種神宝修行(4)】ひらめきの正体、食べる行とは、修行日誌、オマケの石焼き芋

開いてくださりありがとうございます。

やりたいこと、書きたいことがありすぎて、ヤルヤルサギ、カクカクサギになりがちな、鷺ではないアヲイロカナリヤ(略アヲカナ)です。

本日の瞑想はいい感じでしたので、瞑想の準備をどのようにしたかと、
瞑想中の「ひらめき」(上から降りてくる直感的なもの)と「雑念、思考」との違いをどう見分けるのか、という自身の疑問へのヒントが降りてきた氣がしますので、日誌の中でシェアさせていただきます。

石焼き芋の焼き方は一番最後にあります。

『十種神宝(エンペラーコード)』使いのみなさまと同じ志を持つ方々と弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、これを習得するための修行の記録や氣づきをつづっております。

なお、この連載での引用枠は、個別の表記のない限り、
引用元、出典はすべて「エンペラーコード」(白川学館監修講座 大野靖志講師)となっております。

前回までのお話は、👇マガジンにてご参照いただけます。

【15日目の修行日誌】

●瞑想

本日は植物たちが歓喜している久しぶりの恵みの雨。
わたしの氣分も雲上の天照大御神様のように晴れていました。

そんな少し浮かれた心も、洗濯の合間に見かけた陰のお働きを罵る動画のサムネも、お昼前に読んだツイートの切なさも、
すべてを祓うことをしっかりと意図し、腑(丹田)に我の意識をしずめるよう集中する準備をしました。

わたしなりの瞑想の準備について少しご紹介しておきます。👇

「エンペラーコード」講座で指導されている瞑想の準備の作法を、
自室の環境と状況に合わせて「これでよい」と自分で決めた作法で、環境の準備を整えます。

ボーカロイドの祓詞を流れているのが分かる程度の音量で流しておき、
お氣に入りの「ゆにわ」さんの白檀のお香を焚いて始めます。

「よい。整っている」と自分の感覚が言ってくれるのを一時待って、意識を丹田まで落とします。

今日は体の中心、腑にしっかりと「魂」が落ち着いています。
すこしすると、静寂が周りから中心に押し寄せ、その中に包まれていきます。

そのなかにとどまっていたのは、時間にすると数分でしょうか。

そのうち、自分の内からもやもやっとおぼろげな意識が立ち上ってきます。

これはたぶん「我」*である、と氣づきました。
同時に、舌の端がじわっと歯に押しつぶされているのに氣づきます。
顎に余計な力が入っているのです。

舌を解放し、力みを吹き祓うように息を細く長く吹き送ります。

すると再び、意識が腑に戻り、腰を据えました。

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昨日、このように👇書きました。

瞑想の目標の一つである「鎮魂」ができているとき、
わたしの言うところの「降りてくる思考的なもの、ひらめき」と、
いわゆる「雑念」としての「思考」との違いは何か、
 中略
瞑想で「祓い」「鎮魂」がうまくできるようになると、「個」としての「わたし」を消すことができている状態で頭の中に入ってくるものが、単なる「雑念」とははっきり違うということが識別できるのではないか、と今日は思いました。
【十種神宝修行(3)】質問受付のお知らせ、「壁打ち」なるもの、修行日誌

そんな、今日のなかなかいい感じの瞑想で、なんとなくですが、答えのようなものをつかめたように思いました。

先ほど書きました、もやもやと立ち上ってきた意識、*「我」はやはり「個」としての「わたし」の「思考」に違いないと思います。

本当の「真我」「大いなる我」「神」からなにか降りてくるとすれば、それはこのような「色」のあるようなものとはまったく違うのではないか、と直感的に感じました。

瞑想中は「無」になります。「無」と「有」を行ったり来たりするのですが、瞬間的には「無」になります。

そのとき湧いてくる「ひらめき」「直感」などは、”ボーっとしていると頭が整理できる” というあれの効果と似ているかもと思いました。

つまり、睡眠中に脳が行っている情報処理*の結果、「計算結果が出る」ようなことではないか、と今日は思いました。

*参考情報:「睡眠と記憶について/基本的な睡眠とは」甲南大学


つきつめると、今日なんとなく掴んだ氣がしているのは、昨日の疑問よりも核に近いところの違いになります。

単なる「思考」と「直感」の違いではなく、「わたしのひらめき」と「天上の存在の声、啓示」との識別です。

まだ瞑想ではっきりと「天上の声」のような「啓示」のようなものを受け取ったと認識したことはありませんので分かりませんが、

「無」でいる時間を長くすることができる方が、あるいは、
その状態がクリアであればあるほど、一瞬で、そうしたものを受け取れるのかもしれません。

そして、受け取ったものがより「公」のためになることであればあるほど、高次元の存在からのメッセージである可能性が高いのではないか、と今日は思いました。

エンペラーコードでは、まずは遠津御祖神(とおつみおやのかみ。高祖神)といつでもつながれるようになることを瞑想の最初の目標にしています。

「降りてきた」内容によっては、天上の存在からのものとは、確かな審神者でなければ識別できないものもあると思われます。

ですので、そうした「啓示」めいたものをやみくもに至上の存在からのものと思い込まない方がよいとは思っています。

どのレベルの存在からの「智慧」なのかは、言ってしまえば確かなことは人間には分からないのだと教わったことがあります。(エンペラーコードとは別の師からです。)

とはいえ、ご先祖様や高祖神からのその人のためのお導きの言葉であれば信じて突き進むもよしでしょうから、内容如何なのかもしれません。

以上はわたしの推察です。

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そう考えると、瞑想中ではありませんでしたが、わたしが水に触れているときによくある「ひらめき」は、どちらかというと、後者に近い氣がしています。

なぜなら、歯磨き中に突然、「とほかみえみため」が唐突にひらめく*って、変だと思うので(笑)
*これを機に「エンペラーコード」につながりました。

この言葉の意味すらはっきりとは知らず、言霊関係のなにかの一節だったかな、くらいのぼんやりした認識でしたので。

ほかにも、突然、頭の中に降りてきた音のない声のようなものによって、過去、わたしの人生がよい方向へ大きく展開した経験もあるので、なんとなくそう思っています。

瞑想をしたことがない方であっても、よく思い返してみると一つや二つはお心当たりがあるのではないでしょうか。

●その他の修行

今日は、食事で行ないました。

食事で行う、とは、食事中、音楽ももちろんテレビもつけず、おしゃべりもせず、
食べているものとの対話と口の中で受け取る情報に集中する、ということをしています。

エンペラーコードの大野先生の指示ではありませんが、昨年、一時行っていたことで、とても様々な氣づきにいたりました。

大野先生が共有してくださった七沢先生のお言葉から、十種神宝の器となるための修行になると考えて行っています。

ちなみにその頃の行については、いまよりさらにつたない文章ですが、noteで記事にしています。👇
食べることは「苦行」と思っていたわたし自身と、食べられるものと向き合うための「行」でした。


本日はこれで時間切れになりました。
明日は、今日書けなかった、エンペラーコードで指導されている瞑想の目的をもう少し詳しくご紹介したいと思っています。


お読みくださりありがとうございました。

とほかみえみため!


【ご質問受付のお知らせ】

コメント欄にてご質問を受け付けております。

なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。

大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。
日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)
わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。

なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。


【修行のための参考情報】再掲

👆こちらでご紹介されている 西野亮廣さんのVoicy の「壁打ち」なる問答は、一般には、日常の人との対話の中で、時々、偶に、行われることもあると思いますが、それを意図的に、目的をもって展開することはとても効率的だと思いました。

これは、十種神宝の修行で指導されている

「自分を支配できるようになること」

の訓練になると思いました。
これは「エンペラーコード」のプレ講座で言われている、

「誰にも支配されない。誰も支配しない」

わたしの解釈ですが、「支配」は、場面によって「管理」「指揮」とも言い換えられると思います。

自分という存在を自分の上空から観察できる人になることは、本来、わたしの脳の特性が苦手とするところです。

「エンペラーコード講座」では、その視点を、自己の意志で意図すればいつでも宇宙の始まりの点まで飛ばせるようになることを、十種神宝習得のための要件の一つとしているとわたしは解釈しています。

そこまででなくとも、自身を客観視する能力は通常、一種の認知機能の発達と社会生活とによって段階的に形成されていくものですが、わたしはその進展が遅いタイプです。

「壁打ち」はまさに、わたしにぴったりの訓練方法かもしれません。

ご質問いただける方で、西野さんの「壁打ち」をお聴きになって、お相手としてご質問いただける方はその旨、付していただけますとありがたいです。


再掲以上

奈星さんもご指導されていますが、もういい加減にプロフィールくらい書かねばと思っております。。

奈星さんの「ゆかりちゃん好き」さ具合、素敵です。

さて、またご飯の時間だ。食事はやはり、「行」だなぁ

●オマケ: 石焼き芋の作り方

ちなみに、今日のサムネは、自宅で焼いた「石焼き芋」です(^^♪
こんな風に焼きます👇

専用のフライパンに金魚用の砂利を敷いてお芋さんを埋めます
蓋をして弱火で片面20〜25分ずつでコゲも香ばしい石や〜きイモっ💛の出来上がり!

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