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大分県アトツギ向け伴走支援プログラム『GUSH!』バディを務めて

去る3月12日に掲題のアトツギ向け支援プログラム『GUSH!』の今年度卒業イベントが行われました。
本プログラムは昨年度から実施されて今期が2期目。私自身は今期から”バディ”という役割で関わらせていただきましたので、その感想などを含めて記しておきたいと思います。


はじめに

アトツギとは?

私のnoteを読んでいただいている方には割と浸透しているかもしれませんが、改めて少しだけご説明を。
一般的には後継ぎ(跡継ぎ)あるいは事業承継者と言われる方々を指す言葉ですが、これをカタカナで世の中に広めるきっかけ並びに原動力となっているのは、一般社団法人ベンチャー型事業承継の方々です。(一番最初に使われたのは別な方ではありますが、広めたのは間違いなく社団の方々)

その中でも定義されているのが次の通りです。

先代から受け継いだ価値を、時代に合わせてアップデートすることで、
その次の世代に託す時まで、存続にコミットする個人

いくつかポイントがあろうかと思いますので、少し補足を。

  1. 先代から受け継いだ
    ⇒ここでは同族承継か第三者承継(M&A)かは限定しておらず、第三者承継でもアトツギという言葉の対象と成り得ることが示されています。
    ただし、社団の山野代表等は同族承継のサポートにコミットする、と明言されています。(定義と社団活動の方向性は次元が別ということ)

  2. 価値を、時代に合わせてアップデートする
    ⇒単に継ぐだけではなく、アップデートすることが条件となっています。それこそ変化の激しい世の中で、価値自体のアップデートは必須と捉えられていることがうかがえます。その結果、ソリューションとしての事業内容などは先代とは変わる可能性も大いにあるという事です。よく引き合いに出されるのは布団/寝袋からダウンジャケット製造にも進出したナンガ社ですね。

  3. その次の時代に託す時まで、存続にコミットする
    ⇒自分の代で幕を引くための処理をするのではなく、次に繋いでいくためにコミットが条件となっています。コミットしていても、残念ながら当代でたたむことになるケースもあるのは致し方ないとしても、少なくとも託すための取り組みとして事業継続を志すこと。

  4. コミットする個人
    ⇒法人としての取り組みではなく、個人としてコミットできているか。「すべては1人から始まる」で紹介されたソース理論に基づけば、家業とは言っても個人として受け継がれるものです。実際にそれを実感されたアトツギの方のnoteは必見です。

このような条件を満たすアトツギ、あるいはアトツギ予備群にフォーカスした取り組みは現在急増しており、代表的なものは中小企業庁が実施する「アトツギ甲子園」です。

GUSH!からは、このアトツギ甲子園に2年連続でファイナリストを輩出しており、全国的にも注目を浴びているプログラムとなっています。

私自身とアトツギの関り

では、そのアトツギ(というワード、あるいはムーブメント)と、私の関りは?と申し上げますと、割と最近関わり始めたのが実情です。
私自身は、農家の次男の次男、という事もあり、父親はサラリーマンで家業を持っているわけではありません。また、近しい友人・知人にも家業を持ち活動している方がいるわけでもありませんでした。(正確にはいたのかもしれませんが、目にはそこまで入っていなかった)
なので、私自身はアトツギでもなく、元々アトツギについて知識や関りを持っていたわけではありません。

はじまりは2020年の鹿児島アトツギソン。きっかけや想いなどはイベント終了翌日にFacebookへ綴っていますので、そちらをご参照ください。

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Posted by 糸川 郁己 on Sunday, November 29, 2020

これをきっかけに、2021年には青森アトツギソンを行ったり、その後も同じく青森でアトツギ向け新規事業ワークショップ、佐世保市のイベント登壇・ワークショップファシリ、九州経済産業局のイベントファシリ補佐などを実施してきました。
この中で感じたのは、公助だけでなく共助こそが必要なのだ、という想いから、北九州にて「アトツギWeekend」というイベントをプロデュースしました。
その時の経緯や想いなどは、下記にまとめています。

とはいえ、その後は第2回を開催することも能わず、アトツギ自身にとっての共助は、まだまだハードルが高いことを痛感していたところに、今回のGUSH!バディとしてのお話をいただきました。
私自身がアトツギでないからこそ、アトツギをもっとよく知るためにも、そして私の培ってきたものが少しでもお役に立てるなら、と一も二もなくお引き受けした次第です。

大分県アトツギ向け伴走支援プログラム『GUSH!』の内容

そのGUSH!の内容については、公式ページで詳しく解説されているので、そちらをご覧ください。

大変ざっくりいうと、アトツギが約半年かけて新しい事業や取り組みについて考える。途中で先輩アトツギの体験談などを聴きながらアトツギ自身としての考え方を磨いていく。最終的には半年かけて考えたアイデアを発表する。という内容です。

より詳細には事業説明の動画もありますので、こちらをご覧ください。

特に特徴的なのは、一般的な経営塾やセミナーとは異なり、実際の行動に移すための伴走支援、という点です。(動画でいうと1:26頃)
事業計画の立て方を手取り足取り教えられるわけでも、現業の経営に対してあれこれ指導されるものでもなく、まずアトツギとして何をしたいのか、なぜしたいのか、いつしたいのかを問い続けられ、構想を立てて終わり、ではなく、検証を進めるための行動を促されます(そのための支援金もあります)。

今年度は10社11名のアトツギが参加し、3/12の卒業イベントでは、同年代のアトツギたちのつながりが出来たことへの喜び、あるいは半年間自分に向き合う事の難しさなどもお話しされた方も居て、中には活動を振り返り、紡いできた縁に涙する方も。ぶっちゃけ私もひそかに泣きました(内緒)。

ただ、単にエモいだけではなく、アトツギとしての心構えや、新規事業を構想するために必要な考え方なども会得できる、極めて良いプログラムだと思います。先述のアトツギ甲子園のトークセッションでは、プログラム経験者がこのプログラム参加のためにも視聴者に大分県への移転をお勧めするほどです。

GUSH!バディを務めてみて

その様なGUSH!プログラムとして今年度から組み込まれたバディ制度。実際に務めてみての振り返りを記載しておきたいと思います。

バディの役割とは

まずは心がけたこと。前提として、バディの役割は以下のように規定されていました。

  • グループの進捗管理
    ※11名のアトツギは3グループに分かれて、担当バディが1名ずつ付く形で進められました

  • アトツギと事務局(および事業実施主体である大分県)の窓口

  • よき相談相手

  • 事業計画支援

一言でいうと、アトツギに寄り添いながら新たな事業を生み出していくための壁打ち相手 兼 事務局側としての窓口ですね。

このバディを務めるにあたって、心がけていたことは以下の通りです。

事業実施するのはアトツギ自身であることを忘れない

バディという言葉の定義自体から見直したいところなのですが、本来バディとは何かを取り組む相棒です。心の底から信頼し合いながら一蓮托生で取り組む相手。それが本来のバディです。

しかしながら、このプログラムにおけるバディは、所詮は(といったら何ですが)単年度のプログラムにおいて役割として付与されたものでしかなく、アトツギ自身が考えた事業に対して最終的にコミットしながら取り組むことはできません。言い換えれば、同じ船には載っておらず有限的な責任しか持たない存在です。その様な存在であるからには、傍から無闇にけしかけたりするのは道義に悖ります。

ただ一方で、「岡目八目」という言葉がある通り、実は客観的な立ち位置の人の方が良く見えることもあります。(岡目八目の語源は、碁を打っている人よりも、傍から見ている人の方が八手(八目)先まで見越せることです)
ただし、客観的に先に見通せたとしても、それをアドバイスして導く存在でもないと考えています。
新規事業を立ち上げる人、言い換えるとアントレプレナーにとって必要なのは、アドバイスに沿って動く姿勢よりも、自らの頭で考え、自らの体で動く体験です。それは他者によってリードされる経験に慣れてしまうことで、逆に失われてしまうものだったりもします。(この辺りは普段実施しているStartup Weekendでも共通する部分)

だからこそ、今回のプログラムにおけるバディは分をわきまえながらアトツギと接する必要があると考え、実際その通りに行動させていただきました。その結果、卒業イベントでは「塩対応だった」といじられる始末(笑)
(ぶっちゃけ、そういう弄られ方をする位に打ち解けたことはとても嬉しかったです。のめり込むだけが関係性の作り方でないことを実感しました)

振り返りの機会は提供しつつ、出来るだけ監督にはならない

GUSH!では、初回の合宿から宿題が出て自分自身についてだったり、今後取り組もうとしている事業についてを言語化することを求められます。さらには半年間をどう行動していくのかの計画(アクションプラン)も自分自身で立てることを推奨されます。
これらのドキュメント作成については、必須ではないものの作成することで見えてくるものもあるため、一度作成したとしても繰り返し見直す必要も出てきます。
特にアクションプランについては、状況次第で達成できなかったりすることも多々あるのですが、そのような場合に、出来なかった事実自体は確認しつつも、監督者としてそれを追求するのではなく、自らの意思で次の目標や計画を立てていっていただくことを心がけました。
繰り返しになりますが、アントレプレナーに必要なのは自らの頭で考え、自らの体で動く体験です。リードされて動くのも、監督されながら動くのも逆効果になってしまいますので。(とはいえ、監督的になってしまうのは反省点です…)

真摯に取り組みつつも、安易に「良き理解者」であろうとしない

前半はさておき、”「良き理解者」であろうとしない”という点については突っ込まれる方が多いのではないかと思いますので、少し補足します。

途中にも書きましたが、私はアトツギではありません。これは私だけではなく、世間一般の多くの方も同じくアトツギではありません。
一方で、アトツギ支援事業に関わる方は、アトツギであるケースも多々あります。実際に今回の事務局として動いているメンバーの大半はアトツギでしたし、参加しているのも全員アトツギです。

その環境自体が稀有なものであり価値の源泉だったりもするのですが、それ自体が特殊な状況であることを忘れてはいけない。新しい事業を生み出そうとしている取り組みであればあるほど、顧客はアトツギではない人が多く、アトツギの論理は通用しないことも多々あります。
だからこそ、バディはアトツギが考えている取り組みが顧客に届くように、安易な「良き理解者」であってはいけないと考えています。
(世の中の多くのターゲットを絞ったアクセラレーションプログラムの課題もここにあると思っています)

プログラムが終わった時にアトツギを待っているのは、圧倒的な日常です。その中でも一歩ずつでも前に進めるようにするための足腰を備えていただくことこそ大事なのであって、その世界でしか通用しない温室栽培を行う事ではないはずです。(ただし、既にアトツギとして動かれている方にとっては、普段の通常業務もあるので温室にはならないとは思いますが…)

だからこそ「なんでわかってくれないんだ」と言われても、安易に迎合してはいけないのだと思います。もちろん、どうすれば分かるようになるかの壁打ちとしては応えつつも。

おわりに

上記の心がけは、初めから出来ていたものばかりではなく、約半年間かけて私自身も気付いた点もあります。その様な意味でも、このプログラムに関わる機会をいただいたことに重ねて感謝いたします。
初めから出来ていたら、と思うこともありますが、そこは大変申し訳ないですが、もし来年度以降も関わらせていただくことがあれば、次の参加者への貢献をもってご容赦いただきたいと思う次第です。

最後に、一点だけ、問題提起が出来ればと考えています(批判をしたいわけではありませんので誤解のなきよう)。
以前、Facebookに下記のような限定投稿をしました。

定期的にSNS等に挑戦する人により投稿される支援者不要論(不要とまではいかずとも)。それを棘として、なぜ棘が発生したかの背景も想像しながら受け止めつつも、では何が出来るかを考えることもしばしば。

そんな中でも、実際に仕組みや枠組みを作り、その中でプレイヤーを発掘してムーブメントを興し続けている方々を見ると、支援が不要とは思えないのも本音。ただし、それは支援というよりも、それ自体が新たな挑戦であるとも捉えつつ。

そう考えると、いわゆる不要と言われる支援者というのをもう少し解像度高めて言うと、既に起こっているムーブメントに便乗して自分の利を得ようとしている人たちのことなのだろうと。

ただ、その点についても正直なところ現時点での社会構造、資本主義の中では遍く世に行き渡らせるためにはリソースが必要なのも間違いなく、ムーブメントを興している側の疲弊によって立ち消えるのは何とも勿体ない。
その様な状況においては、人員という意味でのリソースが必要なのも事実。

ムーブメントが成長し、熟成してくると、かつてのプレイヤーがムーブメントを持続化させる側にまわり、いわゆるエコシステムが形成され、そうなればリソースの再分配は行われるので、次のムーブメントに取り掛かることも可能になる。

そう考えを進めていくと、かつてプレイヤーだった人がエコシステムを支える側にまわるまでのタイムスパンが短ければ単に利のために参入する方は不要なのかもしれない。
また、いずれにせよ支える側として身に付けておくべきは先義後利の理念ではある。

応援者自身もイノベーター、あるいはアーリーアダプターであれ、という事だろう。
※SNSで棘を出すな、という事ではないので悪しからず。

この点はアトツギ界隈でも同様で、アトツギ支援とはどのようにあるべきか、という点はもう少し深く議論を重ねていきたいと感じています。
今回のバディは皆(正確には社団メンバーも1名いたので2/3)、本業がありながら副業として対応していました。その結果として、1on1等はほぼ平日夜間(深夜)か休日に限定されていました。
アトツギ側も本業がある中での対応だったが故に、そのほうが都合がよかった人もいるとは思いますが、バディ側の都合で平日日中の時間が取れず選択肢を狭める形になってしまっていたのは忸怩たるところです。

他方、プログラムメンターには先輩アトツギの方々が意欲的に参画されていたり、卒業イベントでもビデオメッセージを送られていたり、エコシステムの萌芽としての希望は見いだせていると感じています。

加えて、アトツギ支援の団体は雨後の筍のように増えている感覚もありながら、どこまで協調出来ているのだろうか、という疑問もあります。(増えていること自体をネガティブに捉えているわけではありません)

正直なところ、これはプログラム個別の課題というよりは、アトツギ界隈全体として考えていかなければならない課題と捉えています。
どの様な人間が関わり、どの様な構造を形成するか。先端を走っているプログラムだからこそ見えている課題について、より良い次の社会を構築していくためにも、アトツギ界隈全体で議論が進むことを願っています。
この議論は大いにポジティブに進められると思いますし、何より、企業のアトツギであると同時に、これは私も含めて日本のアトツギである、という意識で取り組みたいです。

ともあれ、GUSH!に参加された方、関わられた方、皆様お疲れさまでした!そしてありがとうございました!

卒業イベントでの集合写真。感無量です。
最終発表イベントでの集合写真。地獄温泉ミュージアムでまさに湧き出る熱量で包まれています。
担当させていただいたアトツギの方々。半年間本当にお疲れさまでした。

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