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社会保険労務士に聞く!成長企業の労務にとって重要なこと、やるべきこととは。

働き方改革関連法案の施行以来、長時間労働や働き方が世間の関心事として注目を集めています。また、ここ数年で上場準備における労務分野の重要性が増しているという話をお伺いすることが増えたように思います。

本記事では、社会保険労務士法人ときわ経営労務にて多くの企業の顧問を務める大石健太郎先生に、ベンチャー、スタートアップといった成長企業における労務の重要性、上場準備を見据えた労務面の整備についてお伺いしました。

※本記事の内容は、記事作成時点のものです。各法令の最新情報は別途お調べ下さい。


プロフィール
大石 健太郎/社会保険労務士法人ときわ経営労務
・社会保険労務士
・公認会計士
一橋大学卒業後、大手監査法人にて上場企業の法定監査業務、IPO支援業務、コンサルティング業務等の公認会計士業務に従事。2014年、監査法人退職後、大石公認会計士事務所開業。2017年に社会保険労務士法人ときわ経営労務に参加し現在に至る。米国上場やIFRS導入を支援するQuantum Accounting株式会社監査役。




ー大石先生、よろしくお願いします。
ー最初の質問ですが、ベンチャー、スタートアップといった成長企業において、社内に労務担当者が必要になるのはどの段階からでしょうか。

常時雇用する労働者が10人以上となったら、就業規則を作成して労働基準監督署に届け出る義務が発生します。このタイミングまでに労務に精通した担当者を雇用するか、社会保険労務士と顧問契約を締結することをおすすめします。

第九章 就業規則
(作成及び届出の義務)
第八十九条 常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。  引用元:労働基準法

10人前後の組織では、それほど頻繁に入退社がなく、労働問題の発生頻度も低いため、会社にとって労務の優先度は必ずしも高くなく、労務に精通した担当者の必要性も感じられず、社会保険労務士への顧問料が割高に感じられる場合が多いかもしれません。


しかし、雇用契約書や就業規則は一度作成すると、容易にその内容を変更することができない場合がありますので、規模が拡大した後のことも見据え、長期的な視野をもってきちんと整備しておくことが重要です。長い目で見たら必ずペイしますので、初期から労務に精通した担当者の雇用あるいは社会保険労務士との顧問契約といった労務分野への投資をおすすめします。

ーベンチャー、スタートアップ企業の労務担当に向いている方は、どのような方でしょうか。

ベンチャー、スタートアップ企業におけるバックオフィスの方は、経理、採用、労務、総務、庶務と幅広い業務を担当される場合が多くあります。

もちろん各種業務のスキル・知識が豊富であることは望ましいですが、必要に応じて社外のリソースを活用しつつ、アルバイトなどの補助者や外部専門家とコミュニケーションをとって、膨大なタスクを抱え込まずに適切に配分し、確実に業務遂行できるタスク管理能力の方がより重要と言えるのではないでしょうか。

ー労務分野の知識は、最低限どの程度必要でしょうか。

社会保険労務士を利用する場合でも、全く知識がないと社会保険労務士への相談もできないでしょうから、労務初心者向けの書籍に書いてある程度の知識は持っていただいたほうが安心です。
しかし、たとえ労務の知識が全くなくとも、社会保険労務士に指導的機能を求めて十分にコミュニケーションを取りながら業務を進め、徐々にキャッチアップしていただければ問題ないでしょう。

ー社会保険労務士はどういった視点を持って探すと良いでしょうか。

ベンチャー、スタートアップ企業の顧問実績が豊富な社会保険労務士事務所を探すことをおすすめします。

当事務所でも様々な規模のクライアントを担当していますが、ベンチャー、スタートアップ企業とその他の企業とでは、社会保険労務士に求められる知見やサービスは大きく異なります。

特に上場を視野に入れる企業では、非常に高いレベルの労務コンプライアンスの遵守が求められますので、ステージに合った適切なアドバイスを受けることができる事務所を探すことが望ましいです。

ー上場準備を見据えた場合、労務の整備はいつ頃から取り組むべきでしょうか。

先ほどの繰り返しになりますが、常時雇用する労働者が10人以上となったら就業規則を作成して届け出る必要がありますので、そのタイミングまでに取り組むべきだと考えます。

インターネット上から入手した就業規則をそのまま使ったり、前職会社や知人会社の就業ルールや給与体系を参考にしてとりあえずのつもりで設計したりすることは多いと思います。
ただ、就業規則の変更により労働条件を労働者にとって不利益に変更することには制約があり、労働者の個別の合意を得るか、就業規則の変更に合理性がある必要があります。労働者の個別の合意を得る場合には、合意が得られたとしても社内になんとなく不穏な空気が流れてしまうということもあるでしょう。当初の就業規則の策定は長期的な視野を持って慎重に取り組むべきです。

(就業規則による労働契約の内容の変更)
第九条 使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。
第十条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。引用元:労働契約法

ー最近では、採用活動のために入社時から有給休暇を多めに付与したり、諸手当や福利厚生を充実させたりする企業も見かけますが、いったん運用開始したルールは容易には止められないのですね。

そうですね。もちろん諸手当や福利厚生制度の充実は望ましいことではありますが、必要以上に従業員の待遇を引き上げた制度を設計してしまい、後々になってその運用に悩まされるケースは散見されます。N-3、N-2・・・と上場準備を進めてからではなく、当初から労務面を整備し、後になって後悔することがないようにしていただきたいです。

ー最初が肝心なのですね。上場準備に入ってから、特に問題になりやすいのは他にどういったところでしょうか。

上場準備会社は、多くの場合、上場準備の過程で労務に関するデューデリジェンス(以下、労務DD)を受けることを求められますが、労務DDで指摘事項が挙がりやすいのは、やはり未払残業代関連ですね。
なお、2020年4月以降に支払われる賃金については、賃金請求権の消滅時効期間がこれまでの2年から3年に延長されています。未払賃金に関連する労務コンプライアンスの遵守の徹底にはより早期に取り組む必要があります。

参考:未払賃金が請求できる期間などが延長されます(厚生労働省)

未払残業代に関連する論点の中でも、管理監督者の範囲の適正性については特に注意が必要です。


労働基準法上の管理監督者には、時間外労働、法定休日労働に対する割増賃金を支払う義務がありませんが、会社内で管理職とされている方が、必ずしも労働基準法上の管理監督者と認められるわけではありません。管理監督者性が否定された場合には、過去に遡って割増賃金を精算することが求められます。管理監督者性については、企業にとって厳しい判断がなされる裁判例が多いため、上場審査や労務DDでも慎重に判断されるところです。
企業において割増賃金支払の対象外とする管理職を設定する際には、十分な検討が求められます。

参考:確かめよう労働条件(厚生労働省)「管理監督者」に関する具体的な裁判例の骨子と基本的な方向性」
参考:管理監督者の範囲の適正化(厚生労働省)

また、開業当初のベンチャー、スタートアップ企業では、そもそも適切な労働時間管理がなされていないケースが散見されます。客観的な労働時間の記録がない期間について労働時間の実態調査を行い、個別に従業員の未払残業代の精算を行うのは、大変な困難と労苦を伴います。

未払残業代を生じさせない労務管理体制の整備の必要性は上場準備会社に限ったものではありませんが、上場準備を検討し始めた会社では、早期に客観的な労働時間の記録が可能な勤怠管理システムを導入し、厚労省のガイドラインに沿った適正な労働時間管理を行うことが特に求められます。

参考:労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン(厚生労働省)

固定残業代制度の設計も押さえておきたいポイントです。過去の裁判例から、有効な固定残業代制度のためには明確区分性、対価性、差額支払合意の要件を具備することが必要であると言われますが、当初にそういった要件を十分に満たしていない固定残業代制度で運用開始し、未払残業代リスクを抱えてしまっているケースが見られます。


繰り返しになりますが、規模拡大や上場準備などを見据え、最初の就業規則を作成する際にリソースを割いて取り組むべきです。上場準備を始めてから労務を整備する、ということでは遅いとご認識いただきたいです。

ーお話をお伺いし、改めて労務担当の方がいかに高度な業務をされているかを理解しました。話を上場準備に戻しますが、適切な労務担当者の人数は何人くらいでしょうか。

社員数や労務の業務フローの設計次第ですが、上場準備時期には1人は労務専任の方がいることが望ましいと考えられます。

最近では働き方や労務問題が社会課題になっていることもあり、労務担当者が取り組む課題や対応すべきリスクが多く、負荷が大きくなっている傾向にあります。

また、人材獲得やリテンションのために福利厚生の充実や働きやすい環境の整備といった企画立案の役割が求められる場合もあります。リスクを抑えた上で新しい制度や働き方を設計し、採用市場にアピールすることや従業員満足度を向上させることも労務担当の役割だと考えると、やはり1人以上の専任者を確保することが望ましいと考えられます。

ーベンチャー、スタートアップ企業の労務担当の方が、自身の市場価値を上げ、また企業に貢献するためにはどのような考え方、行動を取ると良いと思われますか?

労務は事務作業が多く、効率化できる余地が多くある業務だと思います。業務改善やHR Techの活用によって効率化・DXを推進して通常業務の負荷を軽減し、限られたリソースを従業員の満足度向上や採用市場における存在感発揮のための取り組み等のより生産的な業務に向けることが望ましいと思われます。

短期的に見ると、働き方改革や福利厚生の充実は従業員の利益であっても、企業にとってはコストであると思われることが多いかもしれません。しかし、長期的な視野で見ると、従業員の幸福度や健康度を促進することは、企業の持続的成長にプラスになるはずです。
従業員と適切なコミュニケーションを取り、守るべきルールを守ってもらうと同時に、収集した意見や発見した課題を経営にフィードバックできる労務担当者は、どの企業からも求められる人材であろうと思います。

ーありがとうございます。最後に、労務担当の方がチェックしておくべき最新の法律や動向はなにかありますでしょうか。
※本記事作成時点での情報です。

2022年10月から、段階的に一部のパート・アルバイトの方の社会保険の加入が義務化されます。こちらは後1年半と近くに迫ってきていますので、そろそろ対応を考え始めたほうが良いでしょう。

参考:社会保険適用拡大特設サイト(厚生労働省)

また、2023年4月からは、中小企業においても月60時間超の時間外労働に対する50%以上の割増賃金が発生することは、人件費管理という点で非常に重要です。

参考:「働き方改革」の実現に向けて(厚生労働省)
参考:「働き方改革」について(厚生労働省)

他にも多くの法改正がありますが、このコロナ禍におけるテレワークの急速な浸透、また、シェアリングエコノミーや兼業・副業の広まりにも表れているように、人々の働き方や働くことについての考えが大きく変わりつつあることは、今後の労務の最重要トピックになり得るのではないでしょうか。

企業と従業員の関係性も大きく変わるでしょう。従業員の多様な就労形態に対応する労務施策の立案が求められるものと思います。こういった社会の動きの変化に応じ、自社で対応すべきこと・できることを検討することも重要と考えられます。

ー法律のみならず、社会の動きに合わせた制度設計や運営を考える必要があるのですね。
ありがとうございました!


前編である本記事では、「成長企業の労務」をメイントピックスに、大石先生にお話をお伺いしました。後半の記事では、ワーケーションや新型コロナウイルス流行による働き方の変化についてお伺いします!

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