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自分の言葉が自分の言葉じゃないような気がして気持ち悪い現象に名前を付けたい


前提

相変わらず今後の生き方について迷走していています。
自分の人生を考えることが多くなってきた今日この頃ですが、表題の件が気になっていて、言葉にしてみようと思っています。
興味のある人や共感してくれる人が読んで、すっきりしたらいいなぁという願いを込めて。

私はもともとネガティブで、悲観的な思考、自虐、自責の強い人でした。
得意なことは相手に合わせることで、苦手なことは決めること。
そんな私は、人とうまくやることができる一方で主張は苦手でした。
仕事における意思決定で失敗し、取引先と大揉めしてコーチングを受けたことをきっかけに、コーチングを学び始めました。

コーチング会社での挑戦

それをきっかけに、コーチングの会社に入社しました。
周りにはアベンジャーズみたいなメンバーがたくさんいて、経験豊富なコーチや、コーチのマインドを持った同僚がたくさんいました。

コーチのマインドとは以下のような在り方です。
以下を信じてクライアントさんたちと向き合うお仕事だと私は捉えています。

“「人は、生まれつき満ち足りている、全体性のある存在である」というあり方や姿勢のことを「コーチングマインド」と定義しています。 人の中には、ポジティブな感情もあればネガティブな感情もあり、それらは常に移ろいゆくものです。光も影も両方ともその人自身であり、コーチングはその全体性を認めていくプロセスであるといえます。 特にネガティブな感情は思わず目を背けたくなるものですが、コーチングマインドを身につけると、自分や相手の中にある多様性を受け入れられるようになっていきます。 ”

【コーチングとは?】コーチに必要なスキルやマインドを徹底解説

伴走させていただく中で、その方の良い変化や大切な気づきを得てくださった方もいて、ものすごいやりがいを感じていました。
その後、私はご縁があって妊娠し、後ろ髪をひかれる思いで産育休に入りました。

産育休の状況

子供が生まれてから、自分が想像した以上に、「命の重み」と「尊さ」を感じ、この子は私が守るしかないという「責任感」と「存在肯定」も感じるようになりました。
今までは人生の優先順位圧倒的一位が「仕事」だった私は、「子供」の第一位にランクインしてきたことに、喜びはありつつも戸惑いを隠せませんでした。

産後のホルモンバランスも相まって、以前よりも生活における「~べき」な思考が強くなっている気がします。

  • 子供の前ではネガティブな発言を避けるべき

  • 母親はいつでも子供を愛するべき

  • 明るいママでいるべき

  • 夫と喧嘩をしないで楽しく過ごすべき

それは、「~したい(=~を避けたい)」という強い想いからきている鎖のようなものでした。
息苦しい。自分でも自分の首を絞めているのがわかるけど、性質なのかどうも抜け出せない。

仕事を復帰するにあたって、子供を保育園に入れる必要があり、手続きを進めるときに、こんな問いかけが思い浮かぶ。

「子供を保育園に預けてまで、本当にやりたい仕事なのか…?」

私の母は、「こんなに小さいのに保育園に入れるなんてかわいそう」とよく言う母だったので、その呪縛をもれなく食らった。

キャリアについてよく考えるようになった。
副業を始めてみたり、起業塾には行ってみたりして、会社に依存せずに自分で稼げる方法や、やりたいこと探しの旅に出ていた。
とにかく迷走している。

「コーチングを本当にこれからもやっていきたい、のか…?」

今は即答で、うんと言えなくなってしまった。
あんなに熱量を持って、やりがいをもってやっていたのに。
こんなに変わってしまうのかとショックを受けた。
自分が自分じゃないみたいな気持ちだった。

本題:自分の言葉が自分の言葉じゃないような気がして気持ち悪い現象

それを意識したから、コーチングをしている時間だけではなく、普段の会話も、上手く話せない言葉がでてこない感覚を自覚するようになっていった。

私の会話は、前提として相手が気持ちよくなるような対話や、相手が求めている者を答えるという軸で進めています。

今までの累積データから引っ張り出して対話している感覚があり、Aパターンの時はAで返して、Bパターンの時はBで返して、Cパターンの時は…と繰り返していく感覚。
パターンは相手のタイプ・語気・表情や状況によって使い分けている。
データが蓄積されて行けばいくほど、そのパターンが出来ていったり、よく使うパターンが強化される。

コーチングを学んでから、相手の言葉を善悪の判断をせず、受け入れるいマインドで話をするようになりました。
そうするなかで、自分自身の「善悪の判断」がどこかに行ってしまったような気がしています。
(コーチがみんなそういうことではなく、私の場合は、仕事とプライベートが完全に一致してしまい起きている現象です)
会話の中でも、「~べき」が襲ってくる。

  • こういう時はこう返すべきだ

  • ちょっとニュアンス違うけどいったん受け入れるべきだ

  • 言っていることわからないけど、言わないで進めるべきだ

  • 自分の事は後回しにするべきだ

  • 相手の中に答えがあるから、ここで私は意見を言わないようにするべきだ

夫と会話していても、大切な親友と対話していても、「いったん受け入れる」という癖がついていて、自分がどう思うかの回路がショートしてしまっている感覚があります。
それなりの回答はできるけれども、本当に思っているのかが自分でも自信が無い。

なんて悲しいのだろうか。
誰かを救いたくて、自分も自分らしくありのままで生きたくて転職して、毎日コーチングを頑張ってやってきたのに。
自分を一番大切にできていないなんて。いつから間違ってしまったのだろう…。

自分の言葉を自分が信じられない状態で、誰とも話したくない。
どうしたもんか…。

これからどうするのかはまだ見えていないが、一旦現状メモを兼ねて書いておければと思い書き始めたので、ここで終わります。
ここをどう抜け出したのか、また抜け出した時の私にバトンをつなぎます。


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