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#19 イタリア語 事始め(3) 語尾”七変化”事件

 NHKラジオのイタリア講座をスマホで学習し始めて2か月目に突入。一つ目の壁 ”継続” の第一関門を無事通過。電子テキストを購入したので、また1カ月は続けるはず(ずっと続けるツモリ。)

 主語省略が会話では標準と知り親しみを感じたイタリア語も、やはりすぐにその手強さ(てごわさ)に戸惑いながら過ごした1カ月。主語は1人称・2人称・3人称に単数・複数で3×2=6で6通りだけれど、初対面で丁寧な言い方の2人称があるので、6+1=7通りあるらしい(通常は6通り)。これらの主語に対して、冠詞や動詞の語尾が変化する。これを知ったときに、イタリア人はみな天才!!と一瞬思った。他の言語と同様、不規則変化動詞もあるので、もう頭の中の”貯水ダム”がそこらじゅうで”水漏れ”しだして、覚えていたつもりの基本までゼロに近いことしかやってこなかったと思い、”茫然自失”。(あぁ、無謀な戦いに孤軍奮闘をしている阿保だったのではないかと自分を振り返る。まァ、いっかぁー。)

 一か月間、初めての言語の学習をして分かったことがある。語学は、決して文法先行(文法支配)ではない。受験英語では、効率よく勉強するために文法から入ることを、決して否定はしない。短時間で習得するための一つの有効な方法でしょう(経験済み)。しかし文法を知っても、使うこととは別物(海外で経験済み)。これは、スポーツに似ていると思う(語学は”頭の筋トレ”)。例えば、スキーのパラレルターンの仕方を、どれだけ本で読んでも実際にはできない。語学は、繰り返し何度も聞いて・しゃべって・書いてをしないと身につかない(赤ん坊が数年かけて行う作業と同じ)。少し効率を上げたり、途中で投げ出さないためには、自分なりの仮説を立てたり、ルールを構築し(気づき)ながら、自分の愉しみを見つけながら進んでいく。イタリア語を1カ月、毎日30~60分聴いていてつくづく痛感中。

 日本語を子供のころから、日常生活から身に着けた私たちは、小学校の国語の授業で「文法」を習い、ビックリした。文法という”法律”を知らずに、勝手に日本語をしゃべっていては警察に見つかったら怒られるのだろうか?そう思った。周りを見たら、みんな自分と同じように「”さ行変格活用”とはなんだろうねぇー?」と一緒に笑っていたので、ナァーんだ自分だけじゃないんだと安心した。”音便変化”を聞いた時、何とか”穏便”にやり過ごせないかと思っていた。もし自分が外国人で日本語を初めて勉強するとしたら、”て”・"に"・”を”・”は” の使い分けには面食らうと思う。日本語を”喋れる人”が、日本語を”教える人”になれるとは限らない。たぶんできない。”文法先行型”でなく”経験習得型”の学習で身に着けた語学を、初学者に伝えられず、「ここは、これを使います。」と用例集(コーパス)をひたすら繰り返すしかない。赤ん坊になったつもりで、2年くらい?毎日繰り返し聞き、はなし、”間違えて”、身につけていくしかないと思う。

 「九九」や「そろばん」などの基本的な計算問題は、語学に似ていると思う。「ろく ひく さん」と言われたら「さん」が、”理屈抜きに”頭に数字が浮かび上がる。これは、体を使った運動と同じ。”論理支配型”ではなく、”経験習得型”だと思う。

 一方、「算数」の勉強を終えてから進む「数学」は、考え方・導出・証明・定理など、”論理支配型”の学習だと改めて気づいたのは、やはりイタリア語を勉強し始めたおかげ。

 たまには視点を変えてみると、ふだんは気づかないものが見えてくる。
 Grazie italiano!


 

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