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#133 メヂカラ と ガンリキ

「目力」(メヂカラ)と「眼力」(ガンリキ),どちらも”メ”の”チカラ”と書くのに,かなり意味合いが違いますね.ザックリとみると,「視線が相手に印象を与える力」を”メヂカラ”と呼び,「物事の善悪・良否を見分ける力」を”ガンリキ”と呼んでいると思います.

先生の”眼力”のおかげ

 今の自分に影響を与えた人を”先生”と呼ぶとすると,(いろいろな人のおかげでココまで来れたなァー)と感無量です.学校の先生で,一番最初に私の人生に影響を大きく及ぼしたのは,小学4年生の担任の先生です.先生の”眼力”のおかげで,”勉強をスキに”なりました(なれました).小3までは,両親から自宅で「勉強しなさい」と言われたことがなく,”ノホホォーン”と毎日過ごしていました。

先生の目は,魔法の目

 小学三年生までの”通知表”では,3段階評価で一番良い三重丸の科目が一つだったと思います.小4の担任の先生は,ちょっと変わった先生でした.クラスみんなに作文を書かせて,それをまとめてクラスの唄を作曲して,昼の全校放送で流したり,”ローマ字”のテストは昔好きだった”女の子の名前”で問題を作ったりする先生で,クラスのみんながいつも目をキラキラ輝かせて先生の話を聞いていました.

 担任の先生は,不思議な眼力を持っていて,いつも教室で「わかった人は手をあげて.」と言った後に,自分が手をあげると”いつも正解”でした.人前で,間違った答えをすると”いやだなァー”と思っていた自分が,この担任の先生の授業は楽しくて仕方ありませんでした.正解しか言わない児童に”変身”できて楽しくないわけがありません.

みんなの前で褒められる

 小3まで,学校の宿題も時々サボって,ノホホォーンとしていた自分が,小4の夏休み前の通知表渡しの時,何とみんなの前で褒められました.「みんな,1学期の伊藤はエライぞぉー.三重丸が三つも増えた.」と褒められました.一科目に複数の評価項目があったので,3科目というわけではなかったのですが,一つから四つへと増えた三重丸が輝いて見えました.割合で言えば,4倍です.みんなの前で鼻高々でした.(後で聞いたら,みんなはもともと三重丸が幾つもあったようで,新しく三つ増えたことに驚いてくれていたようです.知らぬは本人のみでした.)

やる気エンジン,スイッチオン

 手をあげれば,必ず正解.クラスのみんなの前で,伸びたことを褒められる.これをされたら,「勉強が楽しい」と思うのは必然.担任の先生の”魔術”にかかった私は,一時間目のテストがある日は,朝少しだけ早く起きて”復習”をしてから登校して,成績が少しずつ伸び始めました.「やる気エンジン」は完全に”着火”され,だれからも「勉強しなさい」と言われなくても,”地球の周回軌道”に無事乗ることができて,その後の”楽しい勉強”が始まった気がします.(実際には,途中,たくさんの”小惑星帯”による妨害や,”他の惑星からの引力”による誘惑にかられましたが,無事なんとか,安定軌道上を進んだのではないかなと思います.)

先生の魔術のタネ

 あの小4の先生の魔術のタネは,観察力・眼力だったと思います.自分が教員になって分かったのは,授業中の学生さんの”目”と”姿勢”を見ていたら,何となくわかることが多いです.例えば,手をあげるとき,自信があれば耳に腕がくっつくぐらいまっすぐ上げ,目を見開いてあてられるのを心待ちにしている表情が,あの教室の中で先生はわかったはずです.反対に,自信が無い時には,腕は”自信なさげ”にダラァーンと上がっていたはずです.先生が私を指名したときに,「いつも正解」を答えたのには先生の眼力で,”正解を答えるときだけ指名する”という指針で教室を見渡していたんだろうなと思います.

 もう一つは,できる絶対量ではなく,できるようになった変化量を褒めるという手法.これだったら,成績の低い時にも褒められるチャンスが飛躍的に増えます.むしろ,成績優秀だと”伸びしろ”が少ないので,”不利”かも知れません.成績が振るわなかった(勉強していなかった)私の方が,圧倒的に”有利”だったわけです.

自分自身が教員と親となり

 自分に子供ができ,教員として多くの学生さんと出会い,いつも時々考えていたのは,自分にあの”魔術”があるのか? あの眼力があるのか? 今も考え,ひそかに”魔術”の修業をしています. 一つ言えることは,私に”目力”(メヂカラ)は,ゴザイマセン. ,,,, お後がよろしいようで.

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