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30代で体感したカルチャーショックはある意味パンチが効いていた

30代に入ってから受けるカルチャーショックは、20代のそれより明らかにパンチが効いている気がする。

30歳のとき、夫の祖父母の家を継ぐのことが目的の移住をした。離婚しない限り半永久的な選択だ。

引っ越して5年半経ち、今は楽しんで暮らしているのだけど、やっぱり初めは大小さまざまなカルチャーショックがあった。

カルチャーショックと言うと、ネガティブな印象を持つかもしれないが、今回紹介するのはどれも「なんで⁈」って思ったものばかりなので、笑い話として気軽に読んでほしい。

①お勝手口から近所の子供登場

この事件は、夕方に起きた。当時生後6ヶ月の長男が、めずらしく3時過ぎに昼寝をしてくれたので、私もゆっくりしたいなぁ…と全ての鍵を閉め、電気を消し「誰が来ても出ない」と決め、ゴロゴロしていて夢見心地だった。

するとお勝手口から物音が…!

現実に引き戻されて恐る恐る覗くと…

お勝手口の扉が開いて、大盛りの惣菜が乗った皿がぐわ〜〜〜〜っと入ってきた。

「え、なになになに!?!?!?」

と、パニックになっていると、近所の女の子(当時小6)が持っているお皿で、私のいるところからは皿しか見えなかったのだ…

「どうしたのこんなところから⁈」と聞くと、「ばあちゃんにこれ(惣菜)持って行くように言われたから。冷めちゃうといけないと思って、開いてるところ探してたんだ」と。

え…閉まってたら諦めるんじゃなくて、探すのか…!!!!

絶対に東京育ちの私にはない発想だったので衝撃すぎて、一番忘れられないエピソード。居留守は使うなという教訓となった。

彼女は高校生になり、当時の話をするととても恥ずかしがる。それがまた可愛い。

ちなみにいただいたお惣菜は激うまだった。ごちそうさまでした。

②誰が置いていったか分からない農作物が置いてある

とてもありがたいことなのだけれど、畑を持っている方がとても多く、収穫の季節になると色々な人からたくさん野菜をいただく。

でも不在にしていると、ポストの中にいっぱいに柿が詰まっていたり、大量の大根が玄関前に見事に並べられていたりする。

はじめのうちは「誰からだろう」と思って気にしていたのだけど、もう5年も経つと、だいたい数人には絞れるので「多分あの人かあの人かなぁ」と思って有り難くいただく。

特にやっかいなのがきゅうり。夏はどこのお家も採れすぎるくらいできてしまうから、たくさんいただく。とてもありがたい。が、置いてあるだけだと、本当に誰からか分からない。

いや、本当にありがたいです。みなさんが「あの家にも分けてあげよう」って思ってくれるその気持ちが嬉しい。しかも汗水流して育てた野菜たちを。

我が家は畑も田んぼもしていない。裏山で恐ろしいくらい筍が生えるので、それくらいしか返せるものがない。でも高齢の方が多いので、何かあれば全力で助けます、という気持ちでいつもいる。

③「金ちゃんの孫のお嫁さんやね!」とたいてい家がバレる

とにかく世間が狭いので、おじいちゃんの名前を出すと物事がスムーズだったりする。逆にいうと、すぐ家もバレる。

おじいちゃんは「金ちゃん」とあだ名で呼ばれていたほど、社交的で顔が広いひとだったみたいで、亡くなって10年以上たっているのに、いまだに名前が通じる。

だから「夫が金ちゃんの家の孫でして…」というとだいたい話が通じるし、良くしてもらえる。

たまたまエアコンの取り付けにやってきた電気屋のおじさんが、着くなり「金さんは?!」と言ってきたこともあった。

もう随分前に亡くなって、と話をしたら「昔、神社のことでお世話になって」と言っていて、それだけで知らない業者のおじさんとの距離がグッと近づいた。

いまだにおじいちゃんの存在に助けられることも多く、我が家ではそれを「金ちゃんフィーバー」と呼んでいる。

④人の車のナンバーを暗記する能力高すぎ

そのひとの顔や背格好、服装を見て人を認識することは当たり前にあるが、そこに車も入っていることに衝撃を覚える。

私レベルでは「あの人は何色の車に乗ってる」くらいしか認識がないのだが、地元の方々は車種ナンバーまで完璧に覚えていて、遠目でも「あ、〇〇さんだ!」と気づく。

みんなナンバーも覚えているのだ。おそらくナチュラルに番号を見ているんだろう。

以前、子供の友達から「〇〇君の車は、△△△…」と車のナンバーを言い当てられた。待て、幼少期からその能力を磨いてるのか…⁈どういう英才教育したらこうなる⁈とビックリした。

が、最近うちの子供が通り過ぎる車のナンバーを読み上げるようになった。勝手にナンバーを足し算し始めたり。

ここから始まるのか…と感動すら覚える。数字の練習から始まるナンバー暗記。そのうち人の車のナンバーは息子に覚えてもらうとしよう。

カルチャーショックドンと来い!

19歳から4年間をアメリカで過ごした私にとって、あの時のカルチャーショックは本当にすごかったと思う。今となってはあんまり覚えていないけど、アメリカの文化はもちろん、寮にいるさまざまな国の学生たち、一緒に住んだインドや韓国、アフリカ各国の女子たちとの生活。

そんな体験があるからこそ30代のカルチャーショックは笑えるのかもしれないけど、誰だって、30年生きれば図太くもなる。強くなる。

だから「カルチャーショック、どんと来い。面白く調理して受け入れてやるぜ!!」そんな気持ちで毎日を過ごしていきたい。

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