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一日一句【菜根譚】#49 『嗜欲乃天機、塵情即理境』欲望や感情を否定するのではなく、それらを天の摂理や真理の一部として理解し、受け入れる


嗜欲乃天機、塵情即理境


書き下し文: 嗜欲は天機なり、塵情は即ち理境なり

現代語訳: 人間の欲望は天の摂理であり、俗世の情は真理の境地である。


人間の欲望と俗世の情―天の摂理と真理の境地をめぐる考察

私たちは日々、数え切れないほどの欲望と感情の波に揉まれながら生きています。これらは時として、私たちの心を乱し、正しい判断を難しくさせる原因となります。しかし、東洋思想においては、これら人間の本質的な要素が、実はもっと大きな宇宙的な秩序、つまり「天の摂理」と「真理の境地」に繋がっているという視点があります。

嗜欲とは何か?

「嗜欲」という言葉は、人間の欲望を指します。食欲、性欲、権力欲、名声欲など、人が本能的に追い求めるさまざまなものがこれに該当します。一般には、これらの欲望が過剰になると、人間関係のトラブルや倫理的な問題を引き起こす原因と見なされがちです。しかし、これらの欲望をもう一度見直してみると、それらは実は天によって与えられた「天機」、つまり宇宙の根本的な仕組みの一部であるという考え方があります。

天機とは?

「天機」とは、宇宙や自然界の秩序、摂理を指します。天機には、生命の誕生や育成、四季の変化など、私たちの生活を取り巻くすべての自然現象が含まれます。この観点からすると、人間の欲望もまた、宇宙の法則に従って自然に生じるものであり、それ自体が不合理や道徳的に間違っているわけではありません。

塵情と理境

一方で、「塵情」とは、俗世の情、つまり日常生活における煩悩や執着を意味します。これらはしばしば、心の平穏を乱し、苦悩の原因となるとされます。しかし、「理境」、即ち真理の境地から見ると、これら塵情もまた、宇宙の法則の一環として存在しています。すなわち、私たちが経験する一切の感情や苦悩は、真理を理解するための過程、あるいはステップとして捉えることができるのです。

結論:欲望と感情の肯定的な捉え方

このように、私たちの抱える欲望や感情を否定するのではなく、それらを天の摂理や真理の一部として理解し、受け入れることが大切です。欲望や感情を通じて、私たちは宇宙の法則や真理に一歩ずつ近づいているのかもしれません。この視点から、日々の生活においても、自分自身や他人の行動をより深く、そして広い視野で理解することができるでしょう。

東洋思想におけるこの考え方は、私たちが直面する多くの心理的、倫理的な問題に対して、新たな解釈を提供してくれます。人間の欲望と俗世の情を、天の摂理と真理の境地の一部として捉え直すことで、より充実した人生を送るためのヒントが得られるのではないでしょうか。

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