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最愛だった人と、半年ぶりに会ってきた話

大好きで、何をしていても愛しくて堪らなくて、一緒にいると幸せで、まさしく最愛だった元恋人と、別れて半年が経ちご飯に行ってきた。

会うきっかけを作ったのは、私。
私は4月から就職を控えており、その為の国家試験を受け終わり、今最後の学生長期休みである。
休みが合いにくくなるから、
春休みには会いたい人に会うと決めたから、
国試が終わったら美味しいものを食べたいから
そんな言い訳を取ってつけて、元恋人を誘った。
本心は、ただ、会いたかった。別れてから、このままもう2度と会えないことが耐えられないと思ってしまったからだ。


半年前、別れを切り出したのは私。
友達に戻ろうと話した。泣きながら、自分の人間性を好いてくれていても、そこに恋愛感情は無いのではないかと感じてしまっていると伝えた。実際に減っているスキンシップや性的行為、会う頻度や連絡頻度から、自分の中で寂しさを積み重ね、キャパオーバーになってしまった。
相手に代わって欲しいわけでもなく、自分の寂しがりも治す術も分からず、途方に暮れてしまった。
一つの物事が頭を占めてしまうとその事しか道がないように感じてしまう私は、大好きだと感じる程別れの選択しか見えなくなってしまった。

私も元恋人も女性であり、同性だからこそ友達と恋人の境界線を明確に欲してしまったのかもしれない。
また、元恋人とはセクシャルマイノリティの繋がりで知り合ったため、普段の友人との関係性も知らないから、余計そうなったのかもしれない。


友達に戻ろうと話してから、何度かLINEやsnsのコメントで話す事はあったが、会う事はなかった。
ある時、私から質問をすると、区切りがついたからもう恋愛感情は無いと伝えられた。


そして、約束の日。
久しぶりに会う元恋人に、どんな顔をすれば良いのか、どんな話をしようか、気まずくなってしまわないか、緊張し、不安だった。
その日の目標は、お互いに楽しいと思える時間を過ごす事。
復縁したいかと言われたら、分からないけれど会いたいという感情であった。


何度も待ち合わせをした駅のロータリーに、見慣れた車が入ってきて、以前と同じように助手席に座ると用意していた毛布を膝にかけてくれる元恋人がいた。
初めは考えておいた他愛もない話をして、ランチを食べて、雑貨屋さんを見て、カラオケに行って、夕飯を食べてバイバイをした。
半日一緒にいて、以前と同じように楽しく過ごせたと思う。

色んな場面で、元恋人のさりげない優しさや変わらないあどけなさに触れた。
元恋人の口癖や、2人でよく使っていた言葉がその日も使われて、懐かしさに胸がきゅっとなった。
大好きだった声や、馴染みのある香り、色違いのお財布、貰った腕時計、緩やかな居心地の良さに、心が少し暖かくなり、過去に戻ったように錯覚してしまう瞬間さえあった。  

2人で作ったおろそいの指輪はどちらもつけていなくて、
一本の傘に2人で入っていた記憶を思い出しながらそれぞれが傘をさして、
寒さを理由に腕を組む事もなくて、
肩が触れる距離にはいなくて。
頭を撫でたり触ると喜んでいたさらさらのロングだった髪の毛はとても短くなっていて。
私の口から溢れる可愛いの言葉はなくて。
お互いが恋人である認識と安心感や、好きという共有ももちろん無くて。  

無くなってしまったものも実感して、ああ本当にお別れしているんだもんなと実感した。


楽しくて、でも以前ほどドキドキしていたり、ハグやそれ以上をしたいという感覚は無くて、ああ、ちゃんと友達に慣れているのかなって思った。
でも、昼間から遊んでいるのに、バイバイが近づくに連れて、唐突に寂しくなってしまい。
他愛もない話や他人の恋愛話はしても、お互いの恋愛については怖くて聞けず。
「憧れの人」だと思い込ませていようとしたけれど、自分の中に元恋人への恋心がまだまだ溢れてしまっている事を自覚せざる負えなかった。


お揃いの財布をそのまま使ってくれていたり、お昼から一日中遊んでくれたり、LINEの画像は私が撮った後ろ姿だったり、変わらない笑顔と優しさを見せてくれたり、深い意味はきっとなくて。
他人や不要な感情に左右されず自分の気に入ったことを大切にするところが好きだった。
でも、一つ一つの意味を考えて求めてしまう私は、好きなのにそこが苦しくなってしまったのかな。馬鹿野郎だよね。自分の好きも相手からの好きも、確かにそこにあったのに。


自分から別れを告げた事や、相手が区切りをつけ前を向いている事、気まずくなってしまう可能性が怖い事、会えなくなるのが怖い事。
色んなものが重なっていて、復縁したいから頑張ろうとはなっていない。相手がもしまた私と一緒にいる事を望んでくれるなら、それ程幸せなことは無いと思っている。
でも全て自分のわがままな部分や、一度終わってしまった事実を見過ごすことも違うと思っていて、どうしていこうか自問自答している。

過去を振り返ってみえてくることや、相手がどんな思いだっただろうか、考えることができる余裕が生まれて、沢山傷つけてしまった、仲良く過ごしていたのに突然別れを告げてしまったことや、相手からの好意を疑ってしまったことや、しっかり見れていなかったこと。沢山後から気づいた。
きっと相手から見えていた景色は全く違う部分もあるかもしれないし、もう好意のない相手からの気持ちの押し付けは迷惑になってしまう事も、忘れてはいけない。

結局、想い続けてしまうか、新たな人と出会えるかどちらかであると思う。
その時、同じ後悔をしないよう今振り返っていきたい。

ただ、今の私では、
あれ程外見も声も、中身も大好きな人と出会うことや、その人が自分の事をあんなに信頼して好意を抱いてくれる奇跡が起こる気はしていません。

いつか、友人や恋人、元恋人、知人、どんな関係性になっていようと、こんな話まで笑ってできる仲になれていたら幸せだなと思う。

私が本気で好きになった人の話
「記憶の中でさえ愛しい人」
https://note.com/aiserutokimade/n/n105994f3bdde

好きな人との別れ、noteを始めた理由
「私が私を愛して幸せにできるその日まで」
https://note.com/aiserutokimade/n/nbeb763a64f38

女性として女性を好きになることについて
「私は女で、好きになる対象の大半は女性だった。」
https://note.com/aiserutokimade/n/ne947607297e7

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