祖母の記憶ー戦争~戦時中~戦後ー

私の母方の祖母は、戦争はすでに懲りているから、もう起きないだろうと思っているようだけど、果たして・・・ということになるので、ここから先は我々若い世代がしっかりするしかないんだろうね。

なお、戦後は、竹の子生活をせざるを得なかったらしい。そのため、母方の祖母は、洋裁学校に行って、働いて、稼いで家計を立て直したいと言っていたが、どうも、曾祖母が反対したらしい。

その当時、社会的な需要があったらしいので、それに目をつけて、就業のために学校に行きたかったらしい。

実際、私の母方の祖母は大家族で、男手も女手も戦争が始まる前はあったけど、結局、男は全員戦争に行って、戦死したり、その当時、流行っていた結核にやられて病死したりという経験から「家父長制どころじゃねーだろ!女が働かずして家が立て直せるわけねーだろ!」と考えていたらしい。

ただ、曾祖母はブルジョア出身の極めて保守的な考え方の人物だったらしく、どこからか、男を捕まえてきて、結婚すればいいという考え方だったらしく、裁縫学校への入学を許可しなかったらしい。

いわゆる家の沽券に関わるとかいうアレ。

そのため、うちの祖母と対立していたということだったらしい。

まあ、メチールを売ったりとかそういうのは、さすがに無理だったと思うけど、なんらかの仕事ができなかったのか?という疑問はあるけど、あの当時のことだから、どうにもならなかったんだろうね。なお、ブルジョアはやっぱり害悪だ。

そうこうしているうちに、戦争から帰ってきて、農家を手伝いながら、東京の大学に入学して、東京の会社のタイガーコンピューターの部門に何とか入れた母方の祖父と、お見合いで結婚してなんとか、傾いた家は何とかなったらしい。

ただ、結局、そういった家が零落というか、潰れてもおかしくない状況だったにも関わらず、就業を妨害されたということから、自分の娘には定職を得ることを教え込んだらしい。

ちなみに、私の母方の祖母は就業経験がゼロというわけではなく、銀行の事務員として戦時中に働いていたらしい。というのも、出産のための結婚か、軍事工場で長時間労働かと迫られそうだったらしく、地元の有力者とのコネを使ってなんとか入り込めたらしい。

にしても、戦前は一応、大学までは出た。戦争が始まった関係で、最後の方は単位とかどうなったのかがよくわからんが、もともと専門的な学科ではなく、いわゆるお嬢様学校の一種だったらしい。なお、源氏物語の大家が講義に来てもロクに聞いていなかったりと内情はFラン臭がしまくっていたらしいが。

まあ、本人としては高等師範学校(略称:高師)に行きたかったらしいけどね。ただ、かなり難しかったらしいので、なんとも。それに、その当時、高校の就業年数が都会と田舎で異なっていたらしい。

どうも、都会の高校は田舎の高校に比べ就業年数が1年多かったと本人は言っていた。調べたところ、精確には、就業年数自体は変わっていないのだけど、状況によって、「1年延ばしていい」という特例の条項があったらしく、都会の進学校では、その条項を使って、カリキュラムを組んでいたということ。

そりゃ、1年、伸びてたら、かなうわけないわな。今のように予備校や塾の発達具合もよくわからんし。そもそも、実家は地方の片田舎。今なら、まだしも、あの当時でも、私の母の時代でも、まったく、都会で得られる情報量を比較してもかなわなかったし。今でも、やはり、そういう感じがしている。

まあ、そういう状況もあり、受験ではまったく太刀打ちできなかったということもあったらしい。なお、女子校の状況で、男子校だと話が変わってきたらしいけどね。特に、地方の進学校、特に名門校だと。まあ、陸軍経理学校に入ったりしたのがいるくらいだし。

まあ、熱力学の問題で、気球の問題とか出たらしい。まあ、軍の学校らしいが。

しかし、時代は変わったな。昭和はとっくに終わり、平成も終わり、そして、令和の時代になったけど、人の考えというのはなかなか変わらんものだね。

願わくは、争乱がうちの国に波及しないことを願うだけだ。

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