自分の居場所のレベルについて

最近、自分の居場所のレベルについて考えることがある。

というのも、この数年間、あちらこちらの職場を移動することがあった。その際に、いろいろな職場を見ることになった。

強権的なところ、かなり緩いところ、効率性をやたらと求めるところ、ゆったりとキチンとやるところ、いろいろなところを見てきた。

どこがよくて、どこが悪いとは言わない。

ただ、大学にいた時には、レベルというものを意識せざるを得なかった。

というのも、一時的に、自分が卒業した大学と別の大学にいたことがあるから。

その経験から、大学の学生のレベルと自分のレベル、これは大学と自分自身の愛称を見る際に重要ではないか?と思うことがある。

ある大学Nとある大学Rがあるとしよう。NはRより試験で合格して入るのは楽。

そのために、安易にNを現役で合格して入ろうとしよう。ちなみに、Rは少し努力すれば手が届くけど、Nの方が確実性が高いので、こっちのみを受験したと仮定する。

このようなことがあったとして、果たして、大学に入ってから、どういう感じになるのか?

これはあくまで、私の体験もあるので、一概には言えない。それは分かる。

だが、私と同じ目に遭うとまずいので、あえて書いておく。

Nの方に行くことはお勧めできない。少し頑張ってRの方に合格できるようにした方がいい。というのが私の意見だ。

Nは確かに入るのは楽、でも、その後、周りのレベルはそれほど高くなく、そういうところだと、教員の教える際の士気もかなり低いことがあることを知っている。

そして、学生の士気が低いから、教員にバレないようにスマホゲームを始めたり、講義中に会話を始めたりするというのがあらわれる。

そうすると、講義を集中して聴いていると、なんども、怒号をいきなり聞くことになる。

いきなり、話が変わるから「なんだ???」という感じになる。

数回程度ならいいけど、これが、毎回、そういうことが起きる。

聴いているうちに、嫌になっていく・・・。

後、勉強ができない学生が多いと、教員の方も手を抜く人が出てくる。

「どうせ、誤魔化しても、学生のレベルが低いから気がつかれないだろうし、何か聞かれても、誤魔化せばいい」

こんな感じの教員も出てくる。

というか、話が通じない。

要は、できなければ、学生のせいにすればよく、自分は悪くはないと、身の保身に走る教員が出てくる。

後、えこひいきをする教員もいる。

そういう感じで、結局、Nを早々に辞め、Rの方に移ることにした。

Rの方は入試は難しかったけど、やはり、まわりのレベルはNよりも高くて、真剣に講義を聴いていた。

むろん、たまに、騒ぐ奴もいなかったわけではないけど、それでも、Nの時に比べれば騒ぐ回数は圧倒的に少なかった。そのため、快適に講義を聴くことができた。

後、Rの方はNの時よりも、学生がきわどい質問までしてくるから、教員側もそれ相応の準備をしていた。そういう意味で、ある種の緊張関係になっていたので、Nの時のようなふやけた教員は少なかったと思う。

という経験があった。

こういう経験から、居場所のレベルについては考えることになったのと・・・

真面目にやる人が多いところでは、論理的な考えや話し合いがしやすく、風通しが良く、いろいろとやりやすいが、不真面目にやる人が多いところでは、怒号や人のせいにすることが多くなり、その結果、関係がぎくしゃくしやすくなるという、ある種の経験則のようなものを感じるに至った・・・。

こんな経験があるから、一言、言えるのは、

「自分のレベルよりも低いところには行くな!自分を安売りするな!少し、高いところなら手が届きそうなら頑張って、自分の望むところに行け!」

ということだね。そして、努力をすることでしか、望んだ環境を得ることはできず、不平や不満に言って、悩まされることになる。

                                                                                                      執筆者 KMA

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